テリー ミエさんって、ずっと芸能界の第一線にいますよね。
中尾 やっぱり会社に恵まれましたからね。
テリー 渡辺プロね。
中尾 でも、渡辺プロに30年いて、そのあと独立して30年1人でやってたんですよ。それで、この間ワタナベエンターテインメントに戻ったから。もう1人でやるの、ちょっと疲れちゃって(笑)。
テリー 渡辺プロをやめた理由はなんだったの?
中尾 もうね、社長の(渡辺)晋さんが亡くなって。そのままいれば、大事にされるとは思ったんですよ。
テリー 大功労者だからね。
中尾 でも、娘さん(渡辺ミキ)の代になって、こういうロートルがいたらやりづらいだろうって。それと、冒険するには最後のチャンスかなと思ったんですよ。それで45の時に独立して。子供の頃から危険なところを歩くのが好きなんですよね。子供の頃は細いところを歩いて、落っこちて骨を折ったりしてたんだけど(笑)。
テリー 安住の地にいるより自分を追い込みたいんだ。
中尾 そうそう。
テリー で、いつワタナベエンターテインメントに戻ったの?
中尾 最近ですよ。2019年だから3年前。
テリー 今の社長さんは昔から知ってるんでしょ?
中尾 私、子供の頃から一緒に住んでたから。
テリー あ、そうか。
中尾 だから、なおさらやりにくいだろうと思ってたんだけど、3年前に「ピピン」っていうミュージカルに出た時に、ワタナベエンターテインメントも制作に入っていて。私(その舞台を)ちょっと頑張れたから、「戻ってもいいかな」って。今ならまだ恩返しできると思ったから。
テリー なるほど。仕事がなくてすがったわけじゃないからね。すがるんだったら戻らないけれども。
中尾 そうそう。でも、やっぱり楽ですね。いろいろ気は遣ってくれるし。
テリー 社長の家に住んでたのは「3人娘」とか「可愛いベイビー」の頃でしょう。どういう時代だったの。
中尾 女はみんなクソ真面目でしたよね。特に3人娘の頃って、まだ15歳とかね、若いから。遊ぶとかっていう年じゃないから。
テリー あ、そう。
中尾 それに私と(伊東)ゆかりは社長んちに住んでたから、プライベートの時間があっても、どうして過ごしていいかわかんないっていう感じ。
テリー 当時、大人気で街なんか出歩けたの?
中尾 そんな時間なかったですね。だから、あの頃はほんとに何にも知らなかった。社長んちの近くに迎賓館があって、そこに小さいプールがあったんですよね。せいぜい夏にそこに行くぐらい。
テリー 夜遊びは?
中尾 だって子供ですもん。でも、横浜のクラブとか茅ヶ崎のパシフィックホテルは行ってたかな。(当時副社長の渡辺)美佐さんに連れてってもらって。
テリー 上原謙さんと加山雄三さんが共同オーナーのホテルだよね。
中尾 あと、いちばん記憶にあるのは六本木のキャンティ。まだ子供だから美佐さんが一緒じゃなきゃ行けないんだけど、行くとかまやつ(ひろし)さんだとか、1世代上の人が幅利かせてた(笑)。
テリー 格好いい不良がいっぱいいた時代だよね。今考えると、それも大事な空気だったね。
中尾 うん。あの時代じゃなきゃ感じられない空気だから。当時は、飯倉から六本木までの何メートルかを歩くと、いつも誰か知り合いがいましたよね。