「正直言うと、会ったその日から、この方だなぁと思いました」
1996年2月1日、初対面からわずか4カ月でスピード婚約した河合奈保子が、赤坂TBSで金原宜保氏とペア会見を開いた。
河合はそれまで、香港の俳優ジャッキー・チェンとの交際を噂されたことはあったものの、ファンの間では32歳になるこの時まで「永遠の清純派アイドル」とされてきた。
会見で彼女は、同期の仲間が次々に結婚・出産することについて聞かれ、
「焦りはありませんでした。いいパートナーを見つけていいなぁという思いはありましたけど。不思議なご縁ですね。なんだか、導かれたみたいで。お互いに名前に『保』があるので、いつまでも2人で愛を保っていく、温かい家庭を作っていきたいと思っています」
瞳を潤ませながら、笑顔で語ったものだ。
ただ、私が思い出すのは、1985年に起こった「脅迫状」騒動だ。
この年の10月12日。中央郵便局の消印が押された手紙が、NHKの「レッツゴーヤング企画部長」宛に届く。そこにはワープロ打ちされた文書で「レッツゴーヤング、紅白スタッフへの警告」とあり、〈奈保子の明るさ、伸び伸びとした歌声は俺の青春をなぐさめてくれた〉と、自らがファンであることを告白。そして〈毎日、奈保子を殺す夢をみる。これが奈保子のファンになって4年の俺の決意だ〉という衝撃的な言葉が綴られていたのである。
ただ、当時からテレビ局や事務所宛に、熱狂的なファンからの脅迫めいた手紙が届くことは少なくなかった。そのためNHKも、当初はさほど重大視してはいなかったようだ。
ところが5日後の10月17日、再びNHKに脅迫状が届き、そこには脅迫状と猟銃の散弾33個が同封されていたことで代々木署に通報。脅迫状は翌18日にも届き、そこにも散弾と空気銃の弾が2個ずつ同封されていたため、警視庁捜査一課が出動した。代々木署と合同で捜査本部が立ち上げられる大騒動に発展したのである。
18日夜、私も河合の所属事務所やNHKに取材をかける。だが、全てが「ノーコメント」。そこで河合のスケジュールを調べると、21日午後6時からNHKホールで「レッゴーヤング」の公開録画が入っていた。
なんとか本人の声が取れないものか。伝手を頼ると当日、彼女が間違いなく番組へ出演する、という裏をとった。そこでNHKに勤める知人を拝み倒し、彼を訪ねて入館した後、収録が行われるNHKホールに続く通路付近で待機することに。イチかバチか、河合直撃のチャンスは1回だけだ。
だが、時間になっても彼女は現れず、代々木署が配置した制服警官十数人、私服警官20人による厳戒態勢の中、収録はスタートした。幸い何事も起こらなかったが、久々にドッと疲れる1日だったことを憶えている。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。