2021年8月に亡くなった千葉真一と筆者がしばしの時間、歓談したのは、その年の2月だった。ある作家のパーティ─が銀座で催された際、映画の原作執筆を依頼するため顔を出した千葉と、およそ10年ぶりに対面した。
千葉には週刊誌記者時代に幾度か取材でお世話になり、10年ほど前にも月刊誌でインタビューさせてもらったことがある。こと映画の話になると時を忘れ、少年のような瞳で熱く思いを語るその姿に「役者バカ」を見たものだ。そんなこともあり、対面した時も映画に対する情熱は相変わらずで、全く老いを感じなかった。ニュースで死去を知った時は、本当に驚いたものだ。
千葉は言わずと知れた、昭和を代表するアクションスター。1970年にはアクション俳優を養成する「JAC」を設立した。真田広之や志穂美悦子が巣立っていったことは、説明するまでもないだろう。
自身も海外では「サニー千葉」の名前で熱狂的なファンを持つが、そんな千葉が2007年7月7日に出演したNHK「土曜スタジオパーク」で突如、
「放映中の大河ドラマ『風林火山』で演じる板垣信方の死と共に『千葉真一を葬り去りたい」
と仰天発言。報道陣の要請を受けて716日に急遽、記者会見を開くことになった。千葉いわく、
「実は『風林火山』の撮影中、喘息を患い、最後の撮影では酸素ボンベを使った。亡くなった深作(欣二)監督から『演出の要求に笑顔で応えられなくなったら、俳優引退だ』と言われました。それも要因です」
肉体の限界を感じたと説明したのである。そして「二代目千葉真一」を育成すべく、俳優養成学校「サウザンリーブス・ハリウッド」を東京・大阪・福岡など6大都市に開校し、後進の指導にあたるというのだった。
日本が世界に誇る元アクションスターが指導する学校とあれば、さぞや順風満帆な船出になるだろうと思われた。しかし、開港から1年後の2009年2月、なんとこの学校で体罰や金銭トラブルがあったと一部週刊誌が報道し、上を下への大騒動に発展。2月12日に、千葉が都内で反論会見を開くことになったのである。
冒頭、千葉の口から飛び出したのは、衝撃的な告白だった。
「知人から自分や家族が卑劣な脅迫を受け、永遠に芸能界から抹殺してやる、と言われている」
千葉が言うには、この知人が週刊誌にウソ情報をリークしたのだと。会見で千葉は、肖像権侵害の損害賠償を求め、週刊誌についても「法的措置を検討している」と明言。
ところがその後、千葉が行動を起こすことはなかった。筆者の取材に対し、その知人は脅迫の事実及び、千葉が主張する肖像権侵害について、
「ポスターは千葉さんの会社が制作したもの」
と否定。結局、真相がよくわからないまま、騒動が尾を引いたことで、千葉には「借金王」という不名誉なレッテルが貼られることになる。名選手は名監督にはなれずも、最後まで夢を追う「役者バカ」だったことだけは間違いない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。