妻のゆっちゃんの枕元には、小さなスヌーピーのぬいぐるみがある。胸にはファスナーがついていて、この中にはジュテの白くて長いひげが一本入っている。ジュテがこの世からいなくなった後も、いつもそばにいてほしいと、形見にしているものだ。そのことを後から聞いて、ゆっちゃんと目を合わせることができなかった。痛いほど気持ちがわかった。
我々夫婦には子供がいない。だが、ジュテへの思いは、子供のようにかわいがったというありふれたものではなかった。今風に言えば、ネグレクト。お互いに生い立ちが似ていることが、ジュテへの偏愛につながっていた。
僕は生まれてすぐに両親が離婚し、二人とも生まれたばかりの赤子の前から消えてしまった。親に育てられたことも、顔すら見たこともないのだ。ゆっちゃんは父親が高名な画家だったが、そりの悪い両親がバラバラに生活し、ほったらかしで育てられた。両親の愛情は受けたが、温もりのない孤独な幼少期を過ごした。
どちらも親に見放され、捨てられた境遇ということだが、そのことは言葉にしなくても、なんとなくわかり合うことができた。
そんな夫婦の前にやってきたのが、迷(まよ)い子、捨て子のジュテだった。ゆっちゃんはジュテを、ネグレクトによる傷と孤独を埋める存在として、かわいがっていたのだと思う。僕の場合はウェットすぎるのを敢えて避けるなら、捨て子同士、こいつをなんとかしてやりたい、ということだったろうか。
S動物病院で、ジュテの病状を聞かされた。そのことをゆっちゃんに、どう伝えればいいのか。診察料の支払いはクレジットカードで済ませるのだが、暗証番号を押したことを忘れ、「番号は?」と聞き返したらしい。それぐらい動揺してしまっていた。
家の玄関を開けると、「どうだった?」と声がした。やはりゆっちゃんも、気が気じゃなかったようだ。
ひとまず気を取り直し、リビングのテーブルにK先生が書いてくれた用紙を広げ、僕なりに順序だてて検査、病院について説明した。
「やっぱり、ガン?」
「いや、1週間待たないとわからないよ」
「大きなシコリって、本当のガンならそんなに大きくならないんじゃない。脂肪の塊とか」
「人の場合、そういうこともあると思うけどね」
その先はあまり言葉にならない。
「どうする? どこの病院で診てもらうのがいいのかしら」
「うちから近い病院がいいんじゃないか」
「そうね、先生に紹介してもらえるの?」
「それはすぐにやってくれると思う」
まあ、それ以外に選択肢はなかった。
「ジュテはどうしてる?」
ゆっちゃんは、2階で寝ているジュテを見に、上がって行った。
(峯田淳/コラムニスト)