「ボブ・ホーナーは日本球界をナメていた」
そう回想したのは、ヤクルトで主軸として活躍し、巨人、阪神にも籍を置いた広澤克実氏だ。
「赤鬼」と呼ばれたホーナーは、メジャーで新人王を獲得(78年)、オールスターゲームに選出(82年)されるなど、バリバリのメジャーリーガーだった。86年オフにFA宣言するも、メジャーのどの球団とも交渉がうまくいかず、87年4月13日にヤクルト入りが決まった。
来日初戦となる5月5日の阪神戦で、早くも本塁打。翌日もソロ本塁打を3本放ち、「ホーナー旋風」を巻き起こす。
元巨人・槙原寛己氏のYouTubeチャンネル〈ミスターパーフェクト槙原〉に出演した広澤氏は「最初はそうじゃなかったんだけど、途中からナメ出した」と一例を挙げるのだ。
野手ミーティングでは、その日の対戦予定のピッチャーのVTRを見る慣わしとなっているのだが、ホーナーは早々にバスタオルを頭にかけて瞑想を。
「あれ見ろ!あれくらい集中力がないと打てないんだ!」
バッティングコーチがナインにゲキを入れると、ホーナーはコックリ、コックリ。
「でも、打っちゃうから…」
広澤氏は槙原氏の笑いを誘いつつ、そう言って当時を振り返った。
故障のため、最終的には規定打席に達しなかったホーナーだが、打率3割2分7厘、31本塁打、73打点の好成績を残し、わずか1年でヤクルトを退団したのである。
(所ひで/ユーチューブライター)