自称「10万31歳」(当時)の悪魔として、人気を博していたロックバンド「聖飢魔II」のボーカル、デーモン小暮。そんな小暮が連日ワイドショーで「悪魔の所業」などと報じられたのが、人間界での2人の女性を巡るスキャンダルだった。
コトの起こりは、93年11月。小暮に未入籍の妻A子さんとの間に、生後2カ月になる女の子がいることが発覚したことが始まりだった。記者会見を開いた小暮は、
「『堕ろせ』とも言えないし、彼女はシングルマザーでもいいから産みたいというので、わが輩は『産んでもいい』と。ただ、われらは夢を売る仕事。だから、一緒に暮らす家庭生活もない。ただし、彼女が働けるまでの生活費と、子供の養育費は約束した。子供の運動会には、時間がある限り出たいと思っているが、人間の顔で出席するか、悪魔の顔で出席するかは、その時、決めたい」
そう言って、父親の瞳を垣間見せていたものである。
ところが翌94年、小暮に新恋人B子さんの存在が明らかになる。
5月9日、都内で記者会見を開いた小暮は、
「別に二股をかけていたわけではない。B子とはA子と知り合うより1年以上前からの付き合いで、3年くらい交際してきた。A子とは交際していた認識はないし、A子の妊娠した日を計算すると、それは2人が初めて出会った日であり、合計でも3~4回しか会っていない」
つまり、A子さんは単なる「遊び相手」で、子供の件も疑問だと言い出し、さらに、B子さんとは入籍予定だと語ったのである。
寝耳に水だったA子さんは、すぐさま反論。
「3~4回なんて嘘。30回以上会っているし、私の実家にも挨拶に来ています。小暮さんは私が『本命』だと話していた」
結果、出生の真意を巡り、血液鑑定で白黒つけることになった。
後日、間違いなく小暮の子である、という判定が出たことで8月23日、再び記者会見を開いた小暮は、
「我が輩の子でない可能性は3000億分の1らしい」
と親子関係を認め、認知したことを発表。
会見から半月後の9月7日にはB子さんと入籍し、またまたワイドショーを賑わせたのだった。
ただ、結婚生活は長くは続かず、00年9月、マスコミ各社に2人の離婚報告メッセージが送られたのである。
「聖飢魔II」がブレイクした頃だったか、私は小暮の大学時代の友人、高校時代の担任教諭、TBSの報道局(当時)に勤務していた姉などを取材し、「デーモン小暮の知られざる素顔」という記事を書いたことがある。
人気上昇中とあり、所属事務所やレコード会社からは「覆面レスラーのマスクを剥ぐようなことはやめてください」と言われたものだが、記事は大いにウケた。しばらくして、小暮がインスタントカメラのCMに起用されたことを知った時は、一人ほくそ笑んだものだ。
ただ、小さな女の子と共演した同CMの「トンボ採り編」を見るにつけ、あの「小悪魔誕生」会見の記憶が蘇ったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。