ここで、ジュテが我が家にやって来た経緯を書いておきたい。
それは2011年3月末、東日本大震災で日本中がまだ騒然としている時だった。勤務中に電話してくることなどほとんどなかったゆっちゃんから夕方、着信があった。何かあったのだろうか。電話に出ると「ちょっと変なんだけど」と言葉を選んでいる。
「何?」
「あのね、うちに猫がいるのよ」
「?」
「入ってきちゃったの」
どうも要領を得ないのだ。簡単に言えば、買い物帰りに見つけた猫がそのまま付いて来て、家にいるという。詳しくは家に帰ってから聞くことにした。
当時、住んでいたのはマンションだが、スーパーからの帰りに薬局の裏を歩いていたら、2匹の猫が鳴いていたという。そのうちの1匹が彼女に寄ってくるとニューニャー鳴いて、もう1匹は隠れてしまったそうだ。
彼女はお腹をすかしてそうな猫に「うちに来るか」と声をかけた。すると、彼女の前をトコトコと歩き出したという。「付いてきて」というしぐさをしながら…。
家の方角に向かって前を歩く、変な猫。そう思いながらも付いていくと、行きついたのはなんと、我が家があるマンションの前。
「えっ?」…さらに、開いている表玄関を通り過ぎて、自動扉の前に。ドアが開くと、そのまま中に入り、左手にあるエレベーターの前まで先に歩き、ジッと彼女を見ていたそうだ。
「なんなの、この猫」と思いながらエレベーターのボタンを押すと、ゆっちゃんより先に当然のように乗って、3階へ。エレベーターが3階に着くと、猫は先に降り、部屋がある左手の突き当たりに向かって、当たり前のようにトコトコと歩く。
「まさか、ウチを知ってるの?」
あとを付いていくと、我が家の前へ。猫はドアを開けるのを待っていたという。そしてドアを開けると、まるで住み慣れた家のように中に入って行った。
「この子は捨てられて終活していて、ここにすると決めていたのよ。ウチに来る運命だったの。そうでなければ私の前を歩いて、手招きじゃないけど『付いて来て』みたいな感じで来るわけがないでしょ」
この話は後に何十回も聞かされるのだが、それくらい不思議な出会いだった。もっとも、その時の僕は帰宅して話を聞きながら「でも、すぐに出ていくに違いない」と上の空だったけど。
ところが、である。その猫がそのまま居ついてしまったのだ。もしかして迷い猫で飼い主が探しているかもと思い、近所の動物病院に写真を貼らせてもらったが、情報はゼロ。
「捨てられたのよ。3月の引っ越しシーズンで猫を連れていけないから、人に見つからないように」
名前はゆっちゃんがつけた。20代の頃にフランスに留学していたので、多少、フランス語がわかる。「捨てられた」の意味で「ジュテ」はどうかしら、と言う。彼女が連れてきた猫だから、むろん異論はない。ただ、後に「ジュテ」は「捨てられた」ではなく「捨てる」だと何度か指摘された。
ジュテへの偏愛はこうして始まった。
(峯田淳/コラムニスト)