大相撲2022年七月名古屋場所は、西前頭2枚目逸ノ城が12勝3敗で初優勝を遂げた。
2014年九月秋場所の新入幕から、47場所目での賜杯である。身長192センチ、幕内最重量211キロの逸材が、ついに覚醒したのだ。
インタビューでは「(優勝できると)思ってました」と応じ、場内の喝采を浴びた。モンゴル勢にまた一人、愛嬌あふれるスターの誕生である。
新型コロナ感染で途中休場が相次ぎ、関取の休場が23人(ケガでの休場が2人)を数えた異例の場所。千秋楽でも八角部屋・北勝富士がコロナ陽性で休場し、師匠の八角理事長が表彰式を欠席する事態となった。
ちなみに前半戦は黒星が先行して大関陥落の危機にあった正代は、終わってみれば10勝5敗の2桁勝利。序盤の相撲を見て「カド番脱出は難しい」とした、解説の北の富士に「合わせる顔がない」と言わしめた復活劇だった。その復調のきっかけは、実は白鵬のアドバイスだったという。
支度部屋から土俵に向かう正代に白鵬は、
「四股を踏み、汗をかいてから、取組に臨め」
と声をかけたというのだ。
さて、そんな白鵬に前代未聞の出来事が起こったのは、2011年のことだった。発売中の「週刊アサヒ芸能」(8月4日号)で連載されている、元横綱・白鵬の自伝マンガ「白鵬本紀」では、この年に起こった角界の大スキャンダルと、それに対峙した白鵬の姿を描いている。
この年に角界を揺るがせたのは「大相撲八百長問題」だ。2010年の野球賭博問題の捜査がきっかけで、賭博に関与した疑いのある力士の携帯電話から八百長が疑われるメールが発覚。結果的に親方・力士ら25名の関与が認定され、処分が下されるという未曾有の事態に陥ったのだ。
2011年三月大阪場所は中止が決定。いつ本場所が再開されるか、何の見通しも示されない中、ひたすら稽古に打ち込む白鵬だった…。
そして迎えた2011年3月11日。白鵬26歳の誕生日に、東日本大震災が発生したのである。
大震災とスキャンダルが重なり、五月夏場所の開催は困難。まさに角界は存亡の危機を迎えていた。果たして白鵬は…。続きは「週刊アサヒ芸能」で─。