昨年の4月14日、惜しまれつつ急性呼吸不全でこの世を去った国民的俳優、三國連太郎さん(享年91)。その『一周忌法要、偲ぶ会』が、4月8日に東京都練馬区東大泉にある東映撮影所で行われた。出席者が振り返る。
「昨年7月19日に行われた『お別れの会』は、800人もの関係者が出席したが、今回は300人ほどとかなり少なくなっていた。会場には『親族』『俳優仲間』『仕事関係者』のみ300人が東映撮影所内にある会場に招待されました。会場は狭く、300人が立っていてもほとんど自由に動けないほど。出席者には招待状と引き換えに、三國さんが1965年に出演した東映映画『飢餓海峡』のDVDが配られ、壁には三國さんの出演した松竹映画のパネルが貼られていました。喪主側の親族は4人。長男で俳優の佐藤浩市さん(53)が喪主で、隣には三國さんの妻であるA子さん、佐藤浩市の妻とその息子が座っていました」
一時は、三國さんの妻と佐藤浩市の間で、遺骨を巡って対立もささやかれていただけに、関係者はホッと胸をなでおろしたという。
「三國さんは生前に『戒名はいらない』『散骨して誰にも知らせるな』『三國連太郎のままで逝く』と遺言を残していた。ところが、A子さんは三國さんの遺言通り、遺骨は散骨する方向で考えていたが、佐藤さんが『納骨したい』と言って譲らなかったんです。そこでA子さんは妥協案として、代々のお墓がある墓所に遺骨を預けることを提案。それに対して、佐藤さんは『東京に新しいお墓を建てたい』と言って、分裂寸前だったといいます」
今回事前に郵送された「偲ぶ会」の招待状には、西伊豆にある先祖代々の墓に入ったという事が明記されていたという。
「佐藤浩市さんも悩んだ末、そう決めたようです」(関係者)
誰よりも三國氏が一番、喜んでいることだろう。