京都の西小路あたりを闊歩していたことから命名された「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」が、ファースト・アルバム「BLUES POWER」でデビューしたのは、関西を中心にブルース・ブームが巻き起こっていた75年。
バンドは70年に同志社大学の軽音楽部に在籍する永井“ホトケ”隆 (vo)、塩次伸二 (g)、小堀正 (b)の3人を中心に結成。当初はオールマンやジョン・メイオールなど、ホワイトブルース系レパートリーを演奏していたが、山岸潤史 (g)の加入により、B.Bキング、Tボーン・ウォーカーといったモダン・ブルースを追及していくようになる。
地元・京都での活動を通じ、その名を広げていった彼らは、72年にB.Bキングの大阪公演でオープニングアクトを務め、関西にウェスト・ロードあり、と言われる存在に。
ウェスト・ロードの特筆すべき点は、塩次と山岸との壮絶なギターバトルと、永井のワイルドなヴォーカルに加え、タイトでへヴィなリズムセクション。そんな彼らの魅力が詰まったアルバムが、東京のモウリ・スタジオでオーバーダビングなし、全曲一発録りの「BLUES POWER」だった。
ファンキーなギターとハモンドが冴える1曲目、ロウエル・フルソンの「Tramp」に始まり、「T-Bone Shuffle」「It’s My Own Fault」と続くナンバーは、いずれもブルージーだがソリッド。
4曲目「Cold Cold Feeling」では、Tボーンばりの塩次のジャジーなギターワークにド肝を抜かされる。続くのが、A面最後を飾る「I’ll Drown In My Own Tears」。レイ・チャールズがアトランティック時代にレコーディングした名曲だが、永井のヴォーカルに絡みつく、「下北沢のジャニス・ジョプリン」こと、金子マリ(当時はスモーキー・メディスンに在籍)のバック・コーラスは鳥肌モノだ。
アルバムは全9曲。ラストは、ビー・ウィー・クレイトンの演奏で知られる「Blues After Hours」だが、70年代という時代に黒人音楽のスタイルをそのまま踏襲し、それを関西風ディープ・ブルースとして見事に昇華した彼らの実力には、今聴いても驚かされるばかりだ。
ウェスト・ロードは、75年11月、2枚目にして初のライブ・アルバム「WEST ROAD LIVE IN KYOTO」を発売するも、76年末には惜しまれながら解散。だが、83年にオリジナル・メンバーで復活し、84年にはスタジオ録音の「ジャンクション」をリリース。永井の吠えるようなヴォーカル健在に、ファンは歓喜したものである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。