80年初頭に福岡から登場、絶大な人気を得たのが、ルースターズやモッズ、ロッカーズなど「めんたいビート」と称されるバンドである。だが、おそらくこのバンドがいなければ、彼らが現れることはなかっただろう。それが70年に結成された「サンハウス」だ。
伝説のブルースマン、エドワード・サンハウスから命名されたバンドは、菊(柴山俊之、vo)、鮎川誠(g)、篠山哲雄(g)、奈良敏博(b)、鬼平(坂田紳一、ds)からなる5人組。
まるで木と鉄で出来た楽器を、そのままアンプにブチ込んだようなソリッドなギターを弾く鮎川。それを支える奈良と鬼平の、鉄壁のリズム隊。そして、メチャクチャいかがわしいが、プロの作詞家には絶対に書けないであろう、ソングライティングの才能をいかんなく発揮したヴォーカルの菊。そんな彼らがぶつける、余分なものを全てそぎ落としたストレートなロックが、サンハウスの真骨頂だった。
だからこそ、75年6月に発売したアルバム「有頂天」は、いろいろな意味でハンパなかった。
いきなり「俺の体は黒くて長い 夜になったら抜け出して 手当たり次第に這い回る~」と歌い出す「キングスネークブルース」。2曲目の「借家のブルース」も文字通り、ロックの不良性を具現化したものだった。
そして「ギミー・シェルター」にインスパイアされた「風よ吹け」「もうがまんできない」に続き、「トレイン・ケプト・ア・ローリン」にいやらしい歌詞を乗せ、見事なまでに自分たちの世界観に変えた「レモンティー」には、本当に脱帽という言葉しかない。
B面は「ロックンロールの真最中」からスタート。「ミルクのみ人形」「地獄へドライブ」「スーツケースブルース」と、いずれも名曲が続くが、圧巻は5曲目の「なまずの唄」。おそらくB.Bキングの「キャットフィッシュ・ブルース」のインスパイアなのだろう。深い沼の底で、めったに顔を出さず、知る奴はいない「俺」を歌った無常さに、当時、菊のぶっ飛んだ天才的独自性を見て驚愕したことを憶えている。
ギターの鮎川は、かつてインタビューで、こう語っていた。
「ストーンズから影響された曲はもちろんある。サンハウスは聴いてほしい、好いてほしい。俺の作ったレコードは、自分の可愛い子供だからね」
当時、こんなロックバンドが存在していたとは…。「有頂天」は、めんたいロックの原点を知る上でも、重要すぎる名盤と言えるだろう。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。