段ボールのような素材に「外道」のゴム印が押されただけのLPジャケット。中には「外道」という1曲のみ、手書きで記されたコピー用紙が1枚。そんな外道のファーストアルバム「外道」がショーボートから発売されたのが、74年9月のことだ。
外道は、元「エム」の加納秀人、元「トゥー・マッチ」の青木正行、中野良一のトリオで、73年10月にトリオレコードから「にっぽん讃歌/桜花」でデビュー。グループ名は、中野が東京・町田エリアの顔役で、バンドを組んでいた加納が警察からそう呼ばれたことが由来というだけあり、彼らのライブは常に暴走族が取り巻く。乱闘騒ぎも日常茶飯事だった。
とはいえ、サウンドの方は、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスを彷彿させるような、シンプルかつヘヴィな正統派。そんなサウンドに乗せ、グラマラスなメイクに着物を羽織ったステージングは、70年代の日本の音楽シーンにおいては、まさに革命的と言えるものだった。
ちなみにこのアルバムの音源は、プロデューサーのミッキー・カーティスが、8月に横浜野外音楽堂で行われた彼らのライブを見に行ったついでに、持参した8トラックで録音したもの。それを、わずか10日後に強行発売したというから驚く。
親衛隊による異常な熱狂の中で繰り広げられる、粗削りな、しかし3ピースバンドとは思えない重厚な音は、今聴いてもまったく色褪せていない。
外道は翌75年元日、ハワイのダイヤモンドヘッドで行われた「サンシャイン・フェスティヴァル」に参加。10万人のオーディエンスを前に熱狂ライブを行い、同年、セカンドアルバム「JUST GEDO」を発売。夏にはジェフ・ベックとも共演した。
現在も、B’zの松本孝弘やギターウルフなど、彼らをリスペクトするミュージシャンは枚挙に暇がない。その原点となった歴史的革命的名盤が、この「外道」だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。