今では考えられない話だが、70年代初頭、日本のロックは内田裕也をはじめとする「英語派」と、はっぴいえんどを代表する「日本語派」とに分かれていた。
そんな中、全編英語でブルースなどの黒人音楽をベースに、ブリティッシュ・ロック寄りの音で、ロックキッズのハートを鷲掴みにしたのが、75年6月に発売された竹田和夫率いる「クリエイション」のファースト・アルバム「クリエイション」だったのではないだろうか。
69年、竹田は前身となるブルース・クリエイション(以下、ブルクリ)を結成。だが、当初の純然たるブルースバンドから、しだいに竹田が志向するヤードバーズやクリームなど、ブリティッシュ・ハード系の演奏スタイルに移行したことで、ボーカルの布谷文夫が脱退。
71年には、ブルクリ名義で、ヘヴィロックの傑作「悪魔と11人の子供たち」を発表するも、72年に解散した。単身ロンドンに渡っていた竹田が帰国後、ギターに飯島義昭を加えたツインリード体制となり、75年、内田裕也プロデュースにより満を持して発売されたのが、このファーストだったのだ。
当時の国内版LPとしては珍しく、ビニールシュリンクされたこのアルバム、スッポンポンの子供たちが並んで立ちションするというジャケットも、なかなかのインパクトだった。と同時に、とにかく中身が日本のバンドとは思えない格好良さだったのだ。
A面は、ツインリードが冴える「You Better Find Out」でスタート。竹田のスライドプレイが光る「A Magic Lady」に続き、「Lonely Night」「Tobacco Road」といった重厚かつ、テクニカルな演奏が続く。
そしてB面1曲目、「Pretty Sue」では当時、ジェフ・ベックがライブなどで多用していたトーキング・モジュレーター処理によるギタープレイを披露。アメリカの南部ロックをイメージさせる「Watch’ N’ Chain」、これぞツインリード・ギターバンドの魅力を十二分に味わえる「Feelin’ Blue」と続き、最後は彼らの原点とも思える「Blues From The Yellow」で、泣きのギターが全開。むろん、リズム隊の好演は言うまでもないが、シンプルかつ重厚な音作りは、まさに洋楽だった。
翌76年、クリエイションは、元マウンテンのフェリックス・パパラルディのプロデュースにより、2枚目のアルバム「クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ」を発売。同年7月からパパラルディを加えたメンバーで、キッスやジョニー・ウィンターなどと共に全米ツアーを行い、日本人単独で初の武道館公演も開催。そんなクリエイションの原点となったのが、このファーストだったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。