「イエロー」の母体は、垂水孝道(vo,per)、垂水良道(b)兄弟が、後にゴダイゴに加わる浅野孝巳らと結成したバンド「エム」。そこに同じ事務所に所属していた、ジョー山中率いる「カニバルス」の吉長信樹(d、後のジョニー吉長)が参加。さらに、川崎雅文(kb)、中村純作(g)、上田伸一(per)を加えて結成されたのが、日本ロック黎明期の1972年のことだ。
翌73年、彼らはラストショーとともに、泉谷しげるのアルバム「黄金狂時代」のバッキングに抜擢されると、泉谷のサポート・バンドとして、ツアーにも同行。並行して単独でのライブも行い、徐々に知名度を上げていくことになる。
イエローの魅力はなんといっても、ファンク&ニューソウルが生み出す、大きな、ゆっくりとしたグルーヴだろう。
この時期に登場した「ニューロック」(古めかしい言い方だが)グループの多くが、ブルースを下敷きにしたバンドだったが、イエローはニューソウルに傾倒。そこに「イエロー」というバンド名が表す、「日本人」を意識した「和風」エッセンスを加え、うねるような躍動感あふれるステージを展開する、日本でも稀有なバンドだった。
そんな彼らが、デビュー・アルバム「イエロー」を発表したのは、75年4月。リスペクトしてやまない、アメリカのソウル・シンガー、ダニー・ハザウェイの「ゲットー」をカバーしたインスト・ナンバー「イエロー」で幕を開ける同アルバムは、AB面合わせて全7曲。うち1曲目「イエロー」と5曲目「宇宙」がインスト・ナンバーである。
他の5曲は歌モノだが、オリジナルである4曲目の「エコノミックアニマルに捧げる歌」、ラストを飾る「国旗はためく下に」(泉谷しげる作詞・作曲)といった、メッセージ性の高い曲が含まれていることに、当時の世相を感じてしまう。
とはいえ、いくぶん重めのそんな歌詞も、歌謡曲的でコブシの回った垂水孝道のヴォーカルにかかれば、絶妙なバランスを生み出すのだから、なんとも不思議だ。
イエローはデビュー盤をリリース後、75年8月24日に日比谷野外音楽堂で行われたライブを一発録りし、収録したアルバム「バイブレイション」を同年末にリリース。
しかし、まさにこれからという矢先の76年2月に突如、解散してしまった。
アルバム「イエロー」のライナーでCHARLEY宮本氏は、白人と黒人音楽が主流の音楽シーンの中、イエローが作り出す音楽は、「時にはその音が光となり振天動地(天地をふるわす)波長であり、それがイエローの世界、ブルース・ソウル・ロックンロールである」と綴っている。発売から四十数年が経過した今だからこそ、白人でも黒人でもない、早すぎたイエローワールドを体感できる傑作だ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。