開いた口が塞がらない。政権与党・自民党議員の約半数179人が旧統一教会とネンゴロだったのだ。「関係を断つ」どころか、おざなりの「点検」だけで「安倍国葬」へひた走る岸田内閣に、国民の疑念は募るばかり。時には同志、時には怨敵として向き合った右翼・民族派の論客が今こそ大咆哮する。
9月8日、自民党は党所属の国会議員379人を対象にした調査結果を公表し、179名が旧統一教会と何らかの接点を持ったことを明らかにした。
会見では茂木敏充幹事長が、
「党として、組織的な関係はない」
と、改めて主張したが、実に47%の所属国会議員が関係していたという事実から、発言に説得力はない。一部では「自民党統一教会連立政権」との批判の声も飛び出しているくらいだ。
民族派団体・同血社の下山陽太氏が一喝する。
「自民党は保守政党を自称する政党です。一方、旧統一教会は、韓国中心主義を教義とする反日の宗教団体です。それにもかかわらず、カルト的な宗教団体から支援を受け、票まで得る選挙戦術など言語道断です。確かに、『国際勝共連合』を名乗り選挙活動を手伝っているのは日本人でしょうが、これは一種の外国人参政権を与えているようなものではないか。憲法改正を目指すという保守政党の自民党が、韓国から支援を受けることは絶対に許してはならないことです」
54年、文鮮明氏が韓国で創設した統一教会はその後64年に日本で宗教団体として認可され、68年には政治団体「国際勝共連合」を創立している。これほどまでに日本の政権与党に食い込むことができたのはなぜか。その答えを探るには、やはり半世紀前にさかのぼる必要がある。
故・野村秋介氏の筆頭門下生・二十一世紀書院の蜷川正大氏はこう述懐する。
「かつて民族派が旧統一教会と共闘していた時期があった。60年代後半から70年代初頭、当時は左翼運動が全盛の時代で、少数派だった民族派は『国際勝共連合』と一緒に共産主義という共通の敵に対抗し戦ったのです」
74年公開の映画「樺太1945年夏氷雪の門」(東映洋画)は、終戦間際にロシア軍が攻め込んできたことで集団自決した樺太の女性電話交換手たちの悲劇を描いた作品だった。しかし、封切前から大きな話題を呼んだものの、ソ連からのクレームなどにより、映画は公開間もなく上映中止に追い込まれる。
「そこで民族派が集まり、上映会を行うことにしたのです。そのフィルムを持っていたのが勝共連合の議員だった。もちろん思想的に韓国の文鮮明を教祖としている組織だけに怪しいとは思っていました。しかし、真面目で、酒もタバコもやらないストイックなところが信用できた」(蜷川氏)
これに同調するのが、八千矛社・犬塚博英代表だ。大学時代に学生運動に身を投じ、その後、新右翼団体「一水会」の創設に加わった戦後民族派運動の数少ない生き証人だ。
「70年安保闘争以前、日本には確実に共産主義の脅威が迫っていた。私は68年に長崎大学に入学したが、自治会運営を巡り左翼に立ち向かう時、連携したのが原理研(旧統一教会の学生組織)だった。『共産主義はサタン』とし、どんな乱闘になっても逃げない戦闘能力の高さは頼もしいものだった」
敵の敵は味方、少なくとも、70年代前半までは「反共」で右翼・民族派と肩を並べる同志でもあったのだ。