政治の世界でも同様の役目を果たしたのが統一教会だった。
「当時、自民党が大きな集会を開くなど動員をかける必要がある時には、生長の家で500人、神道連盟で500人、そして勝共連合で500人といった具合にあうんの呼吸で集められていた。石原慎太郎氏など若手議員が73年に旗揚げした保守政策集団『青嵐会』だって、そのスタッフはほとんど勝共連合の連中だったよ」(蜷川氏)
70年代後半になり、ようやく「霊感商法」が社会問題化し、その本性を現した統一教会だが、その前史ではあくまで反共の皮を被り、保守政権を陰ながら支えるパートナーを務めていたのだ。
しかし、80年代半ば、衝撃的な事件が発生する。「世界日報」の元編集長・副島嘉和氏が自宅前で何者かの襲撃を受けてメッタ刺しにされ、重傷となる事件が発生したのだ。
この事件の直前、副島氏は総合誌「文藝春秋」に衝撃の手記を寄せる。その記事によれば、教団の教義とする「原理講論」の中で、日本は朝鮮半島における残虐行為の償いをしなければならない、と書かれているというのだ。
副島氏とは大学の後輩の関係になる犬塚氏はこう語る。
「実は、学生時代に原理研の合宿所に行き、ホームで勉強会に参加したことがある。そこで、統一原理の講義を受けたが、彼らの教義はまったく理解できないものだった。ところが、長崎大の先輩で、学生時代に入信し『世界日報』の編集長になった副島氏が84年に月刊誌で統一教会の教義を初めて内部告発したのです。その教えは、韓国至上主義で日本の天皇でさえ文鮮明に拝跪するという許しがたいものだった」(犬塚氏)
この事件を機に、当時、一水会の鈴木邦男氏は、「国際勝共連合は民族主義運動の敵である」と猛批判を開始する。
しかし、その後、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦終結後の91年、文鮮明氏は電撃的に訪朝。金日成主席と会談した。それまでの「反共」の主張を180度翻したのだ。さらには、翌92年にはワイドショーなどが、歌手の桜田淳子などが参加した「合同結婚式」を連日報じ、統一教会のカルト宗教としての危険性が大きな社会問題となったのは周知の通り。が、それでも自民党は今日まで関係を続けてきたのである。
下山氏が憤る。
「日本人ならば最も大事にしなければならないのが国体です。しかし、自民党は日本の歴史を守ると言いながら、天皇陛下ではなく、文鮮明を崇拝する統一教会とダブルスタンダードで目をつぶってきたことは看過できない。これまで統一教会は自民党と関係することで自分たちの信用性を担保してきた。反対に自民党は選挙にボランティアを派遣されるという持ちつ持たれつの関係だった。とはいえ、91年の訪朝で北に接近したことからも、日本で集められたカネは韓国だけでなく、北朝鮮へ送金されている可能性が高い」
日本海に飛来するミサイルに核開発、北の脅威の資金源として日本人のカネが使われることを決して許してはならない。