4月30日、濃厚な描写で男女の性愛を描き続けた直木賞作家・渡辺淳一氏(享年80)が、前立腺ガンで逝去した。特別な寵愛を受けた人気女優も、計り知れない衝撃に襲われたようだ。
渡辺氏の訃報を知り、女優・川島なお美(53)は、「ショックで何も言葉が出てきません。思い出がたくさんあり、気持ちの整理が今はつきません」
と、心境を吐露。かつて渡辺氏との“不倫旅行”を2度も報じられた彼女が、女優としてステップアップさせてくれた恩人へ、愛のラストメッセージを贈ったかのようだ。
渡辺氏といえば、札幌医科大病院に勤務していた35歳時に妻と2人の娘を残し、愛人とともに上京して小説家に転身した異色の経歴を持つ。その後、40年以上、ヒット作を飛ばし続けるのと並行して、数々の女性と浮き名を流してきた。
そればかりか、13年には日本経済新聞の連載「私の履歴書」で、不倫、中絶強要など自身の破天荒な下半身履歴をアケスケに披露したのだ。が、そんな告白でも、女優たちとの濃密な逢瀬に触れることはなかった。もはや禁断の秘密は墓場まで持っていってしまったようだが、ベテラン芸能記者が解説する。
「渡辺さんには、『失楽園』のように社会現象にまでなるような作品もあり、映像化の許諾が欲しい制作サイドは、原作者がキャスティングの意向を口にすれば、無視できるはずもなかったですからね」
その映画版「失楽園」(97年)と「化身」(86年)の黒木瞳(53)や、「別れぬ理由」(87年)と「遠き落日」(92年)の三田佳子(72)など、“好色無頼作家”との関係を噂された主演女優は枚挙にいとまがなかった。
「渡辺さんは晩年にも、モデル上がりの売れっ子女優の名前をあげて『これからは彼女を使っていきたい』と口にするほどだった。とはいえ、女優で真剣に渡辺さんと深い関係を築き、決定的証拠まで押さえられたのは川島だけだったはずですよ」(文壇関係者)
渡辺氏と川島が出会ったのは95年の年末、渡辺氏が主催する忘年会の席だったという。
「川島は事務所を通さずに、みずから渡辺さんにアプローチしたといいます。そして96年に月刊誌『噂の眞相』が禁断の北海道旅行を報じて関係が公となった」(ベテラン芸能記者)
川島は映画版「失楽園」の主演に収まりたかったようだが、その大役は黒木に奪われた。それでも渡辺氏と特別な関係になった川島には、テレビ版「失楽園」の主役が与えられ、彼女は当時のテレビの放送コードギリギリのヌードシーンを惜しみなく演じたのだ。
「当時、2人は情実関係を否定しましたが、渡辺さんが川島に夢中になってしまったようで、関係が進行するにつれ、川島はテレビ版『くれなゐ』(98年)、さらには映画で『メトレス・愛人』(99年)の主演を射止めましたね」(映画関係者)
それでも、渡辺氏の周囲には、他の女性の影がちらついた。そして99年には、親密すぎる関係も終わりを告げたという。
「渡辺さんが他の女性から『彼女とは別れて』と責められ、距離を置いたようです。ただし、直接的な関係が切れても、渡辺さんは彼女に目をかけ続けた。実は、旧知の出版業界の有力者に『なお美を頼む!』と口添えし、彼女が相談できるように、バックアップしたんです」(出版関係者)
川島はこう明かしている。
「最後にご連絡いただいたのは、メールでこの春でした。私の入院手術の報道を受け、『キミは大丈夫、何も心配してないよ』とのことでした」
2人の“失楽園愛”は周囲が思う以上に固い絆で結ばれていたようである。合掌。