—
アントニオ猪木さんが亡くなった直後、北朝鮮が日本本土に向かって弾道ミサイルを発射。猪木さんは政治家時代から北朝鮮中枢とパイプを保ち、交流していました。近年の政権は、拉致問題を交渉するための、きちんとしたルートを持っていないと聞きます。打開策が見えない中、時の政権が、猪木さんのようなルートを活用することはなかったのですか。
—
僕も猪木さんが好きで、以前、ご本人にビンタしてもらったことがあります。偶然にもレストランで居合わせ、面識もないのに「今度、選挙に出るので、気合を入れるためにビンタしていただけますか」と声をかけたら、快く応じてくれました。優しい人です。
そしてマジで北朝鮮、ヤバイですね。北朝鮮といえば、拉致問題を外すわけにはいきません。
歴史が動いたのは02年、あの「小泉訪朝」による日朝首脳会談でしょう。北朝鮮が拉致問題を認めて謝罪し、被害者5名が戻ってきたことは、電撃的でした。
あの時、具体的に裏で動いていたのは安倍元総理(当時は官房副長官)です。それまで拉致問題に関しては、多くの議員は積極的に動きませんでした。そんな中、安倍さんは拉致被害者の会へと足繁く通い、声を吸い上げて中央へと働きかけていたと聞きます。その後、安倍さんが総理になると「対話と圧力」で解決を目指した。総理在任中、そして辞任後もその活動を続けていましたが、安倍さんも亡くなりました。
猪木さんに関しては、初めて訪朝したのが94年。翌年に、平壌でプロレス興行も実現させましたよね。あれは日本の人気者は世論工作に便利だから日朝関係改善の密使役を期待されていたわけではない、と言われています。もちろん、猪木さんもスポーツ外交を唱えて、お互いに相手を利用していたという側面があり、拉致問題という政治的な領域とはまた別のところでつながっていたと言えます。
それはそれで大事ではあるのですが、見えないだけで、外務省はコツコツと北朝鮮と対話していますし、北朝鮮に頻繁に行っている地方議員もいます。
行くというのは、ひとつの目に見える形ですが、岸田総理が行ったとて、結局、何も進まなかったのでは意味がない。かつて小泉さんの訪朝は多くの奇跡が重なり‥‥詳細をお話しするには文字数が足りないので、またいつか。
結論です。拉致被害者が日本に戻された時も「北朝鮮が怒って日本にミサイルを落としたらどうしよう」と、本気で心配している人がいました。今はもっと物騒です。02年よりもさらに力をつけた中国が、「北」に加担する可能性はゼロではない。中国が「北」に乗る国際的な理由はないとはいえ、習近平主席が3期目に突入すると、少なくとも向こう5年間、日中関係がより冷え込むことも‥‥。
本当にミサイルを日本に落とすなど「北」が動けば当然、同盟国のアメリカも動くでしょう。そうなれば、「中朝VS日米」の激突、戦争になる。破滅です。
僕自身は戦う覚悟でおりますが、有事の際を考えて、田舎に家族を避難させることを想定しています。
宮崎謙介(みやざき・けんすけ)◆1981年生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、日本生命などを経て12年に衆院議員に(京都3区)。16年に議員辞職後は、経営コンサルタント、テレビコメンテイターなどで活動。近著に「国会議員を経験して学んだ実生活に即活かせる政治利用の件。」(徳間書店)。