その要因のひとつには、「梨泰院」の知名度が挙げられる。
韓流ドラマ隆盛の中でも、梨泰院を舞台にした愛憎ドラマ「梨泰院クラス」は世界的大ヒットを飛ばし、日本版リメイクが作られるほどの人気作となった。ドラマに出てくるオシャレな街並みが話題になったのも、記憶に新しい。
しかし、梨泰院が若い男女の“聖地”になったのは、ここ十数年ほどのことであるという。黒田氏も、
「僕だけではなく年寄りは、知人の韓国人を含めて『あの梨泰院に若者が集まるなんてねえ』と時代の流れを感じている」
と語るほどだ。今やそんな「黒歴史」が忘れ去られようとする中、前代未聞の大事故が発生したのだ。
実は歴史的に見ると、梨泰院は米軍基地とともに発展してきた歓楽街であり、そのためのバーや飲み屋などの飲食店、さらには米兵たちの“下半身”の面倒をみる売春宿などが軒を連ねていた。70年代には日本でも「キーセン旅行」と呼ばれる「買春旅行」が盛んになり、渡韓した日本人たちが、置屋から高額で女性を連れ出して一夜を共にする光景が日常的だったのだ。
それが「88年のソウルオリンピックの頃から街の浄化が始まった」(黒田氏)こともあり、様相が一変。米軍基地の影響こそ変わらなかったが、流行に目ざとい若者たちを中心に集まりだし、現在のオシャレな梨泰院へと変貌したのである。渡韓歴の長い事情通の中小企業経営者が言う。
「ソウル五輪が転機になったのはそうですが、売春街としての梨泰院にとどめを刺したのが、04年5月、当時の盧武鉉政権が作った性売買特別法、いわゆる売春禁止法です。これで梨泰院だけではなく、韓国の多くの繁華街で大っぴらな売春行為はご法度となった。古い話ですが、日本でも新宿ゴールデン街が売春防止法とともに、青線の街からバーを中心とした飲み屋街に変わったのと似ています」
もっとも、売春宿こそ壊滅させられたが、イリーガルな商売が絶滅したワケではなかった。中小企業経営者が続ける。
「今度は日本人観光客を狙った偽ブランド品店が跋扈しだしたのです。一時は梨泰院を歩くと『シャチョー、バッグ、ミテイキマセンカ?』とひっきりなしに声をかけられました。いざ、中に入ってみると通常の店頭ではなく、店の奥の奥の部屋に通される。そこに偽ブランド品が山と置かれているというありさまでした」
一時期、韓国産偽ブランド品はその「精巧さ」と相まって一部日本人やブローカーたちに大人気であった。そのような店が並び、街の“売り”になっていく。
「私はブランド品に興味がないし、買うことはなかったのですが、素人目ではとてもじゃないが、本物との見分けがつかなかった。聞くところによれば、専門の業者じゃなければ見分けがつかないくらいの出来だったようです。だから日本人観光客の中には、わかって買っていく人もたくさんいた」(事情通経営者)
もっとも、韓国が経済成長を続け、名実ともに先進国になるとともに偽ブランド店も減少。また、ネット販売が主になった現在の梨泰院にその痕跡はないというのだが‥‥。
「昔の名残かもしれませんが、梨泰院の事故を報じる日本のテレビ映像に大きく『カバン』と書いた日本語の看板が見えました。今現在同じ商売をしているかどうかはわかりませんが、当時は『カバン』と書かれた看板=偽ブランド店でしたから」(事情通経営者)
いくらトレンディスポットへと変わっても、その歴史は隠せないようだ。