映画では当然、トラックに乗り込むのだが、
「離れた場所にいる監督からは特に注文がなかったような気がします。車高が高いのがとにかく気持ちよくって。ただただキレイな景色を見て楽しんでいました」
あべがアルバイトしているドライブインに文太が学生服姿で来たり、大きい方を漏らしそうになったりするえげつないシーンもある一方、文太が夢見心地になってマドンナを思うシーンもあった。
「監督は笑いのエッセンスをどこから出してくるんですかねぇ。えげつない発想の中にプッと笑ういろんなストーリーが出てきますからね。あのシーンは一日かけて撮ったんです。今ならCGを使って簡単に撮れるけど、当時は大変。出来上がった時はスタッフの技術の凄さを思い知らされましたね。ここで演出上の違いについて言わせてもらうと、現在はモニターをのぞき込んで役者の演技を見ている監督がほとんど。役者もどういう画が取れているか、けっこう見る人が多い。でも、昔は監督がカメラマンの目を信じて、役者の指導に取り込んでいましたね。もちろん、鈴木監督もそうです。そこは大きく違いますね」
そしてこの映画には、とりわけ印象に残っている出来事があるという。
「九州ロケに行った際、出演者、スタッフ、地元の協力者の方などが100人ぐらい集まっての打ち上げが盛大に行われたのね。実際のトラック野郎たちも参加したのかな。それから、公開時の舞台挨拶も何カ所か回りましたけど、実際のデコトラがビックリするほど集まってきて爽快でした。おかげさまで、監督はじめ皆さんの協力もあって、興行成績はよかったみたいですね」
そんな思い出深い名監督の死に際し、彼女がふと感じたのは、「トラック野郎」がパチンコ台になったことだという。
「パチンコのキャラクターになる話があってから、完成までがすごく長かったんですね。監督の訃報を聞いた時、監督はきちんと見届けられたのかな、と思いました。映画は自分の子供みたいなものでしょう。それが娯楽になるわけですから‥‥」