おそらくこの報道には、本人も椅子から転げ落ちる勢いで驚いたのではないだろうか。
写真週刊誌「フライデー」が、桂文枝と34歳年下の演歌歌手・紫艶との「20年不貞」をスッパ抜いたのは、16年2月だった。文枝はこの時、72歳。一方の紫艶は38歳だ。
実はこのスクープ、私が所属していた週刊誌編集部ほか、数社あてに「女性を支援する団体のメンバー」と名乗る人物から「紫艶のフェイスブックに証拠がある」とのタレコミ電話が入り、各社がウラ取りに走る中、「フライデー」が先んじて本人を直撃。大きくブチあげた、というわけである。
2月21日の落語会の後、釈明記者会見を行った文枝。長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」(テレビ朝日系)で見せるあの軽妙トークで、報道陣の質問もうまくかわすのでは、と思いきや、そんな予想とは裏腹に、
「このたびは多方面にご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。嫁さんは44年間、私のために一生懸命やってくれて、それを裏切るようなことになってしまい、嫁さんには『本当にあんたは脇が甘いからや』と言われました」
神妙な面持ちで目を潤ませたのである。
かねてから、愛妻家として知られる文枝。が、そこが男の悲しい性なのか。ただ「不貞歴20年」といえば、スタート当初、紫艶は18歳だったことになるから、驚きだ。
紫艶は97年にデビュー。その後、阿知波信介氏が社長を務めるアクターズ・プロに一時期、所属していた。
そこで同社の関係者を取材すると「彼女のことは覚えている」と前置きして、次のように語った。
「彼女はもともと関西出身の演歌歌手で、ほとんど無名の新人でした。所属するとすぐに、社長がヘアメイクやスタイリストをつけ、有名カメラマンにグラビアを撮らせるなど、社長自らが陣頭指揮を執って相当、入れ込んでいましたね。報道を見て、あぁなるほどな、と。納得できました」
紫艶のフェイスブックには、マンションの1室で寄り添う2人の姿や、水着姿でジェットスキーにまたがる写真も。紫艶本人は一部ワイドショーの取材に、
「写真は師匠の了解を得て、友達だけの限定公開でSNSにアップしたもの。パソコンを修理に出したことで流出したのでは」
と語る一方、堂々と「父であり、恋人でした」と告白している。
そうしたことを考えると、真相は推して知るべし、といったところか。20年にわたる秘密の情事の発覚で、図らずも「芸能マスコミいらっしゃ~い!」となった文枝だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。