「100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません。あしからず」
そんなユニークなテレビCMで藤谷美和子がデビューしたのは、まだ彼女が13歳の時である。その後、人気ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」「池中玄太80キロ」に出演し、人気スターの仲間入りを果たした。
しかし、そんな彼女の様子に変化が現れ始める。1986年のことだ。脚本を井上ひさし・山田太一・朝間義隆、製作は野村芳太郎、そして山田洋次が監督を務める松竹映画の大作「キネマの天地」でヒロインに大抜擢されると、4月28日に製作発表記者会見に臨んだ。そこで藤谷は業界のお歴々を前にして、
「眠いの、眠い。疲れちゃって…」
とわがまま発言を連発。会見場の空気を凍り付かせたのである。
撮影が始まってからは、セリフを全く覚えてこなかったり、遅刻してくることもしばしば。共演者からは「もうあの子とは一緒にやりたくない」とのクレームが続出した。結果、5月上旬には降板が決定する。
先の会見は、まだ藤谷「プッツン劇場」の序章に過ぎなかった。
続く「日曜劇場 週末物語」(TBS系)も、ロケに入り後わずか3日で降板。さらにこの年の9月6日、無事撮影完了までこぎつけた映画「道」の公開が始まり、舞台挨拶が行われたのだが、舞台上で突然泣き出した彼女に共演者とスタッフが困り果てる、という「事件」もあった。
その舞台挨拶から3日後の9月9日。彼女は渋谷区内の自宅マンションで自ら救急車を呼び、東京女子医大病院に緊急入院。すわ自死未遂か、との報道も流れた。
そこで私は後日、自宅マンション前で藤谷を直撃。しかし、「キャハハハ、私、撮られちゃってます? キャハハハ…」とおどけるだけで何も答えず、車中の人となった。
実は藤谷の体調不良、精神不安定の原因には、交際相手とされるアートディレクターとの破局があったと伝えられる。
この騒動の後、彼女は所属事務所との契約を解除。何を思ったのか、早稲田大学第二文学部を受験(不合格)したり、米国へ語学留学したりと、芸能マスコミに話題を提供し続けてくれたものだ。
その後、女優業を引退したとされる藤谷の姿が「フライデー」にキャッチされたのは、2012年4月のことだった。記事には小田原で「ノラ猫屋敷」を掃除する彼女の姿が掲載されていた。
プッツン女優と呼ばれる一方、演技には定評があり、映画プロデューサーの中には今でも「藤谷を使いたい」という声もあると聞くが…。実現は難しそうだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。