一方で、大谷を取り巻く取材環境は、困難を極める。フレッチャー氏が続けて語る。
「18年は、直接対面で話す機会や時間は多かった。登板の後はもちろん、その間の調整期間にも複数回、接触できました。ところがコロナの影響で対面取材ができなくなり、全てがリモート取材になった。今ではコロナも落ち着いて、多少は日常を取り戻しつつあるわけですが、まだ十分な環境とは言えません。本音ではたくさん取材したいですが、もちろん取材時間の制限や、ショウヘイ自身が抱える重圧も理解できる。そのせめぎ合いの中で取材活動をしているというのが、最近の状況ですね」
そんな中でも、他社と横並びの報道にならないように心がけていることがある。
「ショウヘイが発するコメントは、どこの社に対しても同じもの。差をつけるために、監督やチームメイトに取材して独自ネタを書くようにしています。今回執筆した本も同じですが、なるべく私の主観を排除して、客観的な目線の原稿を書くように心がけています」
取材対象は、対戦相手や代理人にまで及ぶ。時には日本ハム時代のチームメイトに話を聞くこともあった。
「22年シーズンに千葉ロッテでプレーしたレアードに取材しました。ショウヘイが渡米する前のエピソードを語ってくれました。本の中にもいくつかコメントが載っています。親切なナイスガイでしたよ」
同様に、通訳の水原一平氏も欠かせない取材相手である。
「もちろん、ショウヘイに取材する際には、彼が隣にいます。少し雑談をすることもありますね。今回、私が来日するにあたって、オススメのレストランをいくつか紹介してもらいました。中には、めちゃくちゃ高いステーキハウスもありましたが(笑)。ショウヘイが招待してくれたら、喜んで行きたいですね」
22年シーズンの大谷は、投手として15勝9敗、防御率2.33の好成績を残した。理由のひとつとして挙げられるのは、スライダーの多投だった。
「もともとスプリットでアウトカウントを稼いでいましたが、スライダーの質が向上したことでモデルチェンジに成功しました。縦と横のスライダーを自在に操り、三振と凡打の山を築きました。そもそもスプリットは、故障のもとになりやすい。そのためメジャーでは、投げるのを避ける投手は多い。ショウヘイにも同様の考えがあったのでしょう」
さらに後半戦からは「魔球」と称されたウイニングショットも目立つようになる。
「ツーシームの質が上がりました。ショウヘイのフォーシームはスピードこそありますが、動きはない。スピードが速いだけなら、メジャーの打者は簡単にとらえてしまいます。動くボールを習得したことで、打者を打ち取る確率は上昇したはずです」
(つづく)