当時を知る関係者の証言をまとめると、こんな事実が浮かび上がってきた。
挙式当日、自動車販売会社のセールスマンが式場に新しいジャガーを届け、代金を請求してきたのだ。驚いたひばりプロの関係者に問い詰められたセールスマンは「小林旭さんに言いつけられた」と言う。
報告を受けたひばりが小林に尋ねると、
「新しいジャガーで新婚旅行に行きたいし、お金はご祝儀が集まってるだろう」
と涼しい顔で答えた。
「そんな非常識なところのある旭さんにひばりはカチンときて、言い争いになった。2人とも折れずに激しい口論になって、旭さんが投げつけたグラスが割れ、その破片でひばりさんは発作的に自分の右手首を切りつけたんですよ。『死んでやる!』と言って。カッとなって驚かすつもりだったんでしょうが‥‥」(レコード会社関係者)
右手首の傷は約10センチの裂傷でかなり深く、地元の医師の治療を受けたが、「ひばり、新婚初夜に自殺未遂!?」の一件はごく近しい関係者の胸に秘匿された。そのことを「今だから」と小林にぶつけてみたが、
「そういう騒動もあったかなぁ。忘れたよ」
と言葉を濁し、こう付け加えた。
「ひばりとのことは俺の気持ちにはおかまいなしに進んだから、このままいっていいのかなぁと迷ったことは事実だよ。ただ、一緒に暮らすようになって、ひばりに対していつしか『好き』という感情が湧いてきたのも確かなんだ。あの忙しい彼女がエプロン着けて料理本を見ながら、俺の好きな肉料理、1キロ分のローストビーフとか作ってくれた。天下のひばりも俺の前では一人の女性になろうとした。だから『かわいいやつだなぁ』とだんだんそんな感情が育ってきたんだな」
185センチの長身をソファに投げ出すようにして、小林は遠い日に思いをはせ、目をしばたたかせた。
ところでひばりと結婚した当初、マスコミはこぞって小林を中傷する記事を書いた。〈小林はひばりの財産、地位を利用している〉とか、〈同じ芸能人として劣等意識を持っている〉というものであった。
「そう言われるのはある程度、予期してたよ。だって『天下のひばり』とたかだか日活の『渡り鳥風情』とじゃあ、それはもう月とスッポンの開きがあるってことは、はなから自覚してたからね」
そう達観していたというが、結婚生活の決定的なネックとなったのは「一卵性母娘」と言われたひばりの母親(故・加藤喜美枝さん)であった。その母親の口癖はこうだった。
「加藤和枝(ひばりの本名)は嫁に出すけど、美空ひばりはやらないよ」
これに対し、小林はこう反駁するしかなかった。
「じゃあどこまでが加藤和枝で、どこからが美空ひばりなんだ。顔と声は万民のものだから、胸から下は小林旭のものか、なんて解釈のしかたをしたりしてね」
やがて彼は、ひばりと母親を中心に回る一家の生活に振り回されるようになってしまう。
「言葉ではうまく言い表せないけど、ひばり一家には世間の常識にはない『ひばり一家の方程式』なるものがあったんだよ」
◆ノンフィクションライター・綾野まさる