ある時、ひばりが世間の常識から逸脱したことをやろうとした。そこで小林が「お前、そうじゃないだろ」と注意すると、すかさず母親がしゃしゃり出てきた。
「ダーリン(小林)は『常識、常識』と言って常識を振りかざすけど、うちにはうちの方式、常識ってものがあるの。その中で生活すべきじゃないの」
2人の間に介在する母親は、日増しに不協和音のトーンを高くする。そんな日々を、小林はこう述懐した。
「俺とおふくろさんの間には気持ちのズレがあり、ギクシャクしたものがあったのは確かだ。けど、俺はおふくろさんに言ったよ。『俺はあんたと一緒になったんじゃないんだよ。あんたの娘さんと一緒になったんだからね』と。そう言うのが精いっぱいだったよ」
そんな日々にただ一度だけ、小林の言うことをひばりが認めざるをえない時があったという。
「俺の言ったことがもっともだと思ったんだろうな。だけど、負けん気の強いひばりは悔しくてしょうがない。そしたらほっぺたに平手打ちが飛んできたよ」
そのビンタは4往復の計8発。特に最後の1発は、さすがの小林も両足を踏ん張らないと立っていられないほどだった。このあと、小林は、殴りながら泣きじゃくるひばりを抱き締めたという。
64年6月、2人は離婚。結婚生活はわずか1年半だった。この時も田岡組長がやって来て、小林にこう言った。
「ひばりはな、どこまでいってもひばりや。日本のひばりやから、世間の人に返してやったれや。お前一人のものやないんやで」
小林は回想する。
「涙の記者会見と言われたけど、泣く暇もないくらいバタバタして、睡眠もロクにとってなくて、会見の途中で目をこすったらそう言われたんだよ」
そう言って苦笑すると「もう時効みたいなもんだから」と、こう明かした。
「実はさ、ひばりは小林の籍には入っていなかったんだ。結局はおふくろさんが婚姻届を出すのを拒んだわけさ。つまり、おふくろさんの台本の中では、ひばりの結婚も一つの儀式にすぎなかったということ。だからひばりとはほんの束の間、一緒にいたけど、あれはとても結婚生活というものじゃなくて‥‥」
ここでようやく、冒頭の「公表同棲」というセリフの意味がわかったのだった。
戸籍上は2人は夫婦ではなかった。とすれば、美空ひばりは生涯独身のまま死去したことになる‥‥。
この離婚劇のあと、ボストンバッグ一つに現金2000万円を詰めて、小林は約1年、海外へ逃避行した。
◆ノンフィクションライター・綾野まさる