今で言うところの「肉食系」──。昭和の大スター・美空ひばりは「後ろ盾」の協力の下、強引に押し切る形で「世紀の結婚式」を実現させた。元夫が赤裸々に語った破局までの1年半、結婚生活で起こった封印「事件」とは!?
我が高校時代を振り返って思い出すのは、北国は田舎のションベン臭い映画館で、小林旭(75)の「渡り鳥シリーズ」をよく観たことだ。昭和30年代後半、映画は全盛時代で、日活スターといえばタフガイ裕次郎か、マイトガイ旭だった。どういうわけか、私は「湘南の貴公子」で売り出した裕次郎にはなじめず、ガキ大将の面影を残す旭に引かれた。
芸能記者になって幾度かインタビューの機会を得たが、美空ひばりとの結婚について話を切り出すと、やんわりとはぐらかされた。
ようやく胸襟を開いてもらったのは、ひばりの十三回忌の折であった。
「実はさ、俺とひばりはね、うーん、結婚生活というのじゃなくて、つまるところ『公表同棲』だったんだよ」
さりげない口調で小林が話し始めた時、正直なところ驚いた。
2人の出会いは1961年秋のこと。雑誌「明星」での対談だった。
「その時、ひばりが『恋人はいるの?』と聞くから『いないよ』と言ったら、『じゃあ、私と親しくしてよ』ってんで、気が付いたら恋人になっちゃってた」
それからというもの、ひばりからの熱烈なラブコールは続く。小林の出向くさきざきにまで電話がかかってきた。
「ある時は芸能人が何十人も集まったパーティに呼ばれて『私のダーリンよ』と紹介されて‥‥。複雑な気持ちだったよ(笑)」
極め付きはその年の暮れ、1台の黒塗りの車が小林の自宅前に横付けになったことだった。2、3人の若い衆のあとに続き、車から降り立ったのは「ひばりの父親代わり」と言われた神戸芸能社社長の田岡一雄氏。当時、山口組の三代目組長だった。
「お嬢(ひばり)がアンタにほれてると言うとんのや。天下のひばりにほれられて、これは男冥利に尽きるやないかぁ」
田岡親分にこう切り出され、小林はたじろいだ。
「いや、僕は結婚するにはちょっと早いんでね」
だが、親分は畳みかけた。
「ひばりはアンタと一緒になれなんだら飯食わんと言うとんのじゃ。ええやないか。一緒になったれや」
さすがの小林も「わかりました」と言わざるをえなかったという。
こうして62年11月5日、「世紀の結婚式」が行われた。ひばりが25歳、小林は24歳だった。
挙式、披露宴を終えた2人はそのまま5泊6日の予定で熱海へハネムーンに出かけた。ところがこの新婚初夜に早くも不協和音が響くことに。その原因はささいなことだった。
◆ノンフィクションライター・綾野まさる