この逃避行は小林にとって自分を見つめ直すのにいい機会となったが、帰国後も「ひばりとの離婚」はまだ余震として続いていた。世間は「映画スターの小林旭」ではなく「ひばりと別れた亭主」として彼を見るようになっていた。
そんな中、67年、日活を辞めた小林は女優の青山京子(78)と結婚し、ゴルフ場経営に乗り出す。しかし4年後、経営に失敗し、倒産に追い込まれる。
当時1億4000万円と報じられた借金は、実は14億円だった。夫人との間に3児が生まれ、幸せそのものだった一家の日々は暗転した。
「もう毎日、家に帰ると女房と顔を突き合わせて金策の話ばかりしていた。とにかく1000円札が一枚もなくなるぐらいセコく苦しい生活を余儀なくされた。さすがの俺もシュンとなって頭を垂れたね」
だが幸運にも、前年に出していた「昔の名前で出ています」が300万枚を超える大ヒット。小林は喉が潰れて声が出なくなるほどステージをこなした。そしてこの1曲で巨額の負債を返すメドが立った。
そんな彼の脳裏に、忘れることのできない夜が今も鮮やかに焼き付いている。25年前、ひばりが亡くなった夜(89年6月24日)、小林は東京・六本木の酒場で飲んでいた。
「彼女が亡くなったまさにその頃から雨が降りだしてね。訃報を聞いて、酒を飲むピッチが上がった。急激にワーッと飲んで、雨に打たれて家に帰ったのは朝の6時半だった‥‥」
だが小林は通夜にも密葬にも姿を見せなかった。沈黙を破って姿を現したのは、ひばりが亡くなって間もなく1年となる頃だった。作曲家・船村徹のパーティに出席した彼は、ひばりについて語り出した。
「いつの間にか人の前でしゃべれるようになりました。時の流れというもの‥‥です。俺の腹の下でいっぺん寝たことのある女が、死んでもういなくなりました。その彼女が、すばらしい歌をこの世に残してくれました」
こう言ったあとに突然、ひばりの名曲「みだれ髪」を歌い始めたのだ。ざわついていた会場が、水を打ったように静まり返った。
「彼女とのことは現実だったのか、夢だったのか‥‥と思うけど、今も毎日、ひとりでさ、この胸の中に思い出して、両手を合わせているよ」
インタビューの終わり近く、小林はつぶやくように言った。年輪を重ねた懐の深さが、その表情に浮かんだ。
◆ノンフィクションライター・綾野まさる