ちょうどこの頃、ひばりは病室でファンへのメッセージを録音する。それはこんな内容だった。
〈私自身の命ですから、私の中にひとつでも悩みを引きずって歩んでいくわけには参りませんので、後悔のないように、完璧に人生のこの道を歩みたいと願っているこの頃です〉
そこには自分の運命を静謐なまでの心で享受しようとするひばりがいる。
5月29日、ひばりは病床で52歳の誕生日を迎えた。しかし、それから間もなく病状は悪化し、人工呼吸器が装着されることに。自分の運命を覚悟したかに見えたひばりは、
「このまま‥‥死ぬんじゃないの!? 悔しい!」
涙交じりにしぼり出すような声でそう言ったという。
「その頃からだんだんしゃべることが少なくなって『ごめんね』『ありがとう』としか言わなくなった。僕も何も言えなくて、ずっと見つめていることが多くなりました。亡くなる日も何か言わなきゃと思っているうちに『ごめんね』って言われちゃって‥‥。それで、おふくろがまた何か言おうとしたので、言葉を制して『大丈夫だよ』と言って病室を出てきたんです。それが最後の会話になりました」
和也氏が病院の廊下を20メートルほど歩いた時だった。ピーピーという警告音が聞こえてきた。踵を返した和也氏は、まっしぐらに病室に駆け込んだ。
数名の担当医が心臓マッサージを始めていた。だが一向に心音は聞こえてこない。続いてAED(自動体外式除細動器)を2度使用したが、それでも心拍は復活しなかった。3度目を試みようとした時、
「もうやめてください」
和也氏はそう言って、治療を止めたのだった。
89年6月24日、午前0時28分。美空ひばりは52歳の若さで帰らぬ人となった。昭和が終わり、平成に年号が変わって半年。文字どおり「昭和の歌姫」として、ひばりは亡くなったのだ。
その朝、テレビに速報が流れると、ひばり邸前には6000人のファンが詰めかけた。6月26日の密葬には1200人の弔問客、300人を超える報道陣、自宅を4キロにわたって取り囲んだ1万3000人のファンが「女王」を見送った。
だが、真っ先に駆け付け、別れの言葉をかけるべき人はとうとう現れなかった。それはかつて「夫」と呼ばれた小林旭だった。