タレントのRIKACOが1月29日にインスタグラムを更新して「まさか隣の哀川翔家の息子が役者になるとは思わなかったし。まさか自分の息子が脚本や演出をするなんて思ったことがなかった」と言及。自身がプロデュースし、長男・渡部樹也が作・演出、そして哀川の三男・福地展也が出演する舞台「どうか妹だけは助けてください」について綴り、福地との写真をアップした。
世田谷区内にあるRIKACOと哀川の自宅が隣同士であることはよく知られるが、筆者がそんな彼女の自宅を訪ねたのは、前夫・渡部篤郎との離婚騒動が報じられた05年頃のことだ。インターホン越しの彼女は「ぜ~んぜん、そんなことはありませんよ」と、いたって元気に別居疑惑を一蹴したものである。
2人は94年に結婚。当時、渡部は無名に近い俳優だったが、RIKACOと結婚後、ドラマで主役を張る人気俳優になる。RIKACOの株は爆上がり。「あげまん」「カリスマ主婦」と呼ばれ、理想的な芸能人カップルとして羨望の眼差しが注がれた。
ところが、そんな2人の間に隙間風が吹き始めたのは、03年に入ってからだ。週刊誌に渡部と女優との不貞記事が掲載され、RIKACOも俳優らとの深夜デートが報じられた。
そして05年4月、2人は所属事務所から独立し、双方が個人事務所を設立。当時取材した広告代理店関係者はこう語っている。
「実はある大手企業が渡部サイドに、1年契約で夫婦共演のCMを依頼したようです。ところが『今の段階では難しい』と含みを持たせて断られた」
この証言が事実なら、年内にも離婚の可能性が高い。しかし事態は動かないまま、結果、2人が離婚届を提出したのは、暮れも迫る12月19日だった。翌20日、2人が別々に記者会見を行うことになったのである。
最初に会見を開いた渡部が口を開く。
「僕が至らなかったんだと思います。仕事に熱中しすぎて、家族とのバランスが取れなかった。具体的な話をしたのは今年の夏で、僕から切り出しました。役者バカになりすぎました」
この2時間後に会見に臨んだRIKACOはというと、
「まだ理解できないというか、まさかという気持ちでしたが…。ただ、私が描いている家庭像、父親像と彼とは違っていたということです」
戸惑いを見せながらも、泥仕合を避けたのだろう、
「憎み合って別れるわけではありません。これからも2人で子供を育てていくことになります」
離婚に際しての慰謝料はゼロ。2人の子供の親権と3億円とも言われる豪邸はRIKACOの名義となり、子供たちの養育費を渡部が負担することになった。
結婚から11年で打たれた終止符。この家に夫婦の楽しそうな笑い声が再び戻ることはなかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。