「芸能界の自分と日常の自分との間にギャップがあり、自分を見失いかけていて。でも、考えても考えても、答えが出なくて。で、1年以上前から、10代の頃の価値観や経験を忘れないように、自分のいいところも悪いところも、写真という記録に残しておきたいと思ったんです」
97年8月22日、20歳の誕生日を迎えた菅野美穂が、都内で開かれた誕生パーティーの席上、この日に発売したヘア写真集「NUDITY」(撮影:宮澤正明)出版の理由を、潤んだ目で声を震わせながら、そう語った。
その前日、写真集発売が電撃的に発表されると、全国の書店には予約が殺到。初版の10万部は、あっという間に売り切れ、その勢いは150万部を売った宮沢りえに迫る、として幸先いいスタートを切った。
だが、発売3日後の8月25日、「スポーツ報知」と「週刊現代」に写真の一部が無断掲載されたことを受け、抗議のため菅野が再び会見を開く。
冒頭で「泣くのはズルいことだから」と涙をこらえながら「写真掲載はルール違反」として、怒りを露わにした菅野。報道陣から「脱いだことについて、友達の感想は?」の質問が飛んだ瞬間、様々な感情がこみ上げてきたのだろうか。両手を覆いながら、10分にわたって号泣。ただ、涙の理由については触れなかったため、様々な憶測が流れた。
というのも当時、彼女は資生堂をはじめ、朝日生命、ブリヂストンサイクルなど、大手企業のCMに出演する売れっ子女優。広告代理店関係者も、
「彼女クラスなら、CM契約料は1本3000~4000万円。商品イメージを考えたら当然、契約打ち切りもあり得ますからね。そんなリスクを冒してまで、なぜ今、脱ぐ必要があるのか、理解に苦しみます」
だがスキャンダル効果もあり、写真集は80万部のベストセラーに。
そんな菅野が、ヘアを晒した理由を改めて告白したのは、騒動から19年の時を経た16年10月。しかも、NHK朝の情報番組「あさイチ」だった。
「お芝居も仕事も好きなことばかりで、それが学校もなくなり、仕事も好きなことばかりではなくなって『あれ!?』って。精神的にタフにならなければいけないと思って、(写真集出版は)ショック療法みたいになってしまった。人にはお勧めできないけれど、それを経験したおかげで、精神的に強くなりました。タフになりすぎちゃった」。
笑顔でそう語ったのである。
なるほど、あの騒動の裏には彼女なりの「大きな試練」があったのだ。ただ、テレビを見ながら、あの会見場で隣にいた記者がつぶやいたひと言がふと頭をよぎった。
「脱ぐなら泣くな、泣くなら脱ぐなよ」
この名言に思わず膝を打ったものである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。