不倶戴天の敵を鉄拳制裁! 頂点を極めたものだけが生き残る芸能界は、常に血のにおいが漂っている。硝煙の頂上ロードで火花を散らした伝説の武勇伝の数々をリロードする。
まずは、軽いジャブから──。93年、年末の恒例行事「NHK紅白歌合戦」の開幕を控えた楽屋、発端は先輩の軽い“後輩いじり”だった。
「最初にけしかけたのは少年隊の植草克秀(47)のほうでした。楽屋にあった後輩の光GENJI・諸星和己(43)の帽子にアソコの絵を描いてイタズラしたんです」(ベテラン芸能記者)
当時、人気絶頂を気取った諸星は、事務所の先輩にもかかわらず植草に殴りかかり、2人は取っ組み合いの大ゲンカとなった。“事件勃発”の場所が大部屋だったため周りにいたTUBE・前田亘輝、南こうせつ、さだまさしらが順番に仲裁に入ったのだが、それでも諸星は怒り心頭で、
「もう紅白なんて出ない。紅組が勝てばいい!」
と完全にプッツン。
「最終的に、その年の大トリを務める北島三郎が登場。『お前ら、いいかげんにしろ!』と一喝したことでようやく騒動は鎮静化しました」(前出・ベテラン記者)
一方、本当の事件と化したのは、ギタリスト・布袋寅泰(52)と、芥川賞作家にしてパンクロッカーの町田康(52)のひと悶着だ。
過去に楽曲を共作し、ステージで共演も果たした2人だが、07年6月、千葉にある布袋の家へ向かう車中でバンドの活動方針の違いから大モメした。
「表へ出ろ!」
と言われた町田が車外に出ると、布袋が殴る蹴るの暴行を加え、全治2週間のケガを負わせたのだ。結果、千葉県警君津署は布袋を傷害容疑で書類送検している。芸能レポーターの石川敏男氏が語る。
「布袋といえば、高岡早紀との不倫騒動での“火遊び発言”で夫の保阪尚希(46)との痴話ゲンカも話題になりましたが、あの時は『ロック界最強』とも言われる布袋のほうがなぜか逃げ回っていた。意外に保阪のほうが強いのかも‥‥」
さて「芸能界最強」との声が聞こえるのは、哀川翔(53)も同様だ。数多くの伝説を持つが、「最凶」と言われるのが、84年頃に羽賀研二(52)に対する仕打ちだ。
2人は「一世風靡」の前身の劇団で先輩後輩の関係だったが、「いいとも青年隊」で先に全国区デビューしたのは羽賀だった。憧れの高級外車を乗り回す羽賀が気に食わなかった哀川は、六本木で羽賀の乗っているBMWを見つけると、
「生意気な車乗ってるんじゃねぇ!」
と羽賀の愛車に殴る蹴るの大立ち回り。しまいにはボンネットの上に乗っかりジャンプして踏みつける大暴れの末、車はボコボコで廃車寸前になったのだ。
伝説の数ではさらに上を行くのが勝新太郎(享年65)。96年に、晩年の勝と銀座の高級クラブで鉢合わせしたのは奥田瑛二(64)だった。
勝のテーブルに招かれた奥田は、酒が進むにつれ“からみ酒”。最初はたしなめていた勝だが、ついに業を煮やし、
「何だ、コノ野郎!」
と奥田の胸倉をつかみ、殴りかかった。勝のド迫力に気圧された奥田は、
「役者だから顔だけはやめてください」
と、許しを請うのだが、勝はさらに激高し、
「てめえなんて、役者の仲間じゃねえ!」
と面罵すると、奥田の頬を平手打ちしたうえ、蹴り倒した。
「奥田の酒癖の悪さは芸能界でも一、二を争う。他の客にからみ酒して、店をつまみ出されることも多々あったほどです」(前出・石川氏)
最後は、鮮烈パンチで締めよう。90年、映画監督・大島渚氏(享年80)と小山明子夫妻の結婚40周年記念パーティでのハプニングだ。
大島氏と親交の厚い作家・野坂昭如氏(83)が挨拶文を用意し、スピーチの順番を待っていた。ところが、待てども待てども自分の順番が回ってこない。そのまま会はお開きになると思われたところ、ようやく野坂氏の存在に気がついた大島氏は、壇上に野坂を招き上げた。
すでに、待ち時間中に酒盃を重ねグデングデン状態の野坂氏だが、みごとに祝辞を読み上げ拍手喝采。大島氏が「ありがとうございました」と頭を下げた刹那、野坂氏の強烈な右フックがクリーンヒット。眼鏡を吹っ飛ばされた大島氏も持っていたマイクで野坂氏の頭を叩いて反撃‥‥。夫人の小山明子が割って入る、とんだ珍事件となったのだ。
親しき中にも礼儀はあるし、酒が入れば何が起こるかわからないものだ。