1982年2月の選手引き抜き休戦協定成立から、水面下で友好関係を強化していった新日本プロレスと全日本プロレス。83年1月2日の全日本・後楽園ホール大会に新日本の坂口征二副社長、新間寿取締役営業本部長がジャイアント馬場を表敬訪問するという“絵作り”が行われたことで、「今年は両団体の交流戦が行われるかも」と、プロレスマスコミも注目していた。
しかし、6月から日本プロレス界は不穏な空気に包まれていく。その引き金となったのは、6月2日の蔵前国技館におけるアントニオ猪木vsハルク・ホーガンのIWGP決勝戦だ。
「世界のベルト統一」を旗印に猪木と新間が二人三脚で推進してきたビッグ・プロジェクトがいよいよフィナーレを迎えたわけだが、何と猪木がホーガンのアックス・ボンバーで場外に吹っ飛ばされ、舌を出して失神。世界統一の夢を断たれた猪木が救急車で病院に搬送されるというアクシデントで幕を閉じたのである。
これは「一寸先はハプニング」を信条とする猪木の自作自演説が根強く、新間は「何が何でも勝つべきだった。3年の歳月を費やして実現に漕ぎつけたIWGPは、私と猪木が魂を懸けたプロレスのひとつの区切りだと思っていたし、私には“ここから何かが生まれる!”という夢があった」と肩を落とし、坂口は会社の机に「人間不信」と書いた紙を貼って1週間欠勤。ハワイで気持ちをリフレッシュさせていたという。
この舌出し事件を合図のように、新日本は負のスパイラルに陥っていった。アメリカ在住のマサ斎藤を後見人に、長州力、はぐれ国際軍団所属だったアニマル浜口が合体して6月17日に新日本に辞表を提出。維新軍団のスタートである。2人は維新コンビとして、フリーの立場で新日本に上がるようになった。その黒幕も猪木説が有力だが、ここから長州に維新軍団として独立心が芽生えたに違いない。
そして8月12日、人気絶頂のタイガーマスクが東京・世田谷の富士観会館で大塚博美副社長、山本小鉄取締役審判部長に虎のマスクとNWA世界ジュニア、WWFジュニアの2本のベルトを返上。電撃引退が公になった。
タイガーマスクは同月4日に蔵前国技館で寺西勇相手にNWA世界ジュニア王座を防衛したが、これがラストマッチになったのだ。
8月8日から群馬県の草津温泉で2泊3日の社員旅行があったが、タイガーマスクは私設マネージャーのショウジ・コンチャ(曽川庄司)と初日の夜に1時間滞在しただけで帰京。8月10日のテレビ朝日の「欽ちゃんのどこまでやるの!」の収録を一方的にキャンセルし、同日付で契約解除を内容証明付きで新日本とテレビ朝日に郵送していた。
タイガーマスクは8月12日にカナダ・カルガリーで試合を行い、同月18日にLAのガラスの教会で極秘結婚式を挙げることになっていた。全日本のジャイアント馬場もNWA総会の帰りに出席することになっていたが、この式もキャンセルになってしまった。一体、タイガーマスクに何が起こったのか!?
80年4月23日、蔵前国技館でダイナマイト・キッド相手に鮮烈デビューを果たして時代の寵児になったタイガーマスクだが、多忙な毎日の中で新日本への不満と不信感を募らせていた。
タイガーマスクは82年中に結婚したいと考えていたが、人気絶頂の正体不明のヒーローだっただけに新間に反対されて、この83年8月のLAで極秘結婚式ということで落ち着いたという経緯がある。
そしてこの結婚式に私設マネージャーのコンチャの出席を新間に拒否されて「自分の結婚式に呼びたい人を呼べないのか!?」と不満を抱いた。コンチャは84年2月に「タイガージム」の会長になる人物だ。
そのコンチャから「サイン会などのイベントの報酬がピンハネされて猪木の事業『アントン・ハイセル』に流用されている」と吹き込まれていた。「アントン・ハイセル」とは、サトウキビからエタノール燃料を精製する過程で大量発生するアルコール廃液とサトウキビの搾りかすを家畜の肥料としてリサイクルさせる事業だが、実験の失敗の続出で資金の調達に追われた。
そうしたことが積み重なり、遂に爆発して電撃引退になったのである。
猪木の「アントン・ハイセル」への傾注に危機感を募らせていたのはタイガーマスクだけではなかった。新間の直属の部下である大塚直樹営業部長を筆頭とする営業部、選手たち、経理部の人間、さらにはテレビ朝日から出向していた大塚博美副社長、望月和治常務、山本小鉄取締役も猪木、坂口、新間体制に不満を募らせて、6月30日の株主総会後から、それぞれの立場から“会社改革”に水面下で動き出し、思惑が複雑に絡み合っていた。
タイガーマスクの虎のマスクと2本のベルトを受け取ったのは山本小鉄と大塚博美。これは猪木体制を転覆させる、世に言う新日本クーデター事件の始まりを告げるものだったのだ。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。