1983年8月12日、タイガーマスクが虎のマスクとNWA世界ジュニア、WWFジュニアの2本のベルトを返上して人気絶頂のまま電撃引退。日本マット界は騒然となったが、新日本プロレスが揺らぎ始めたのは、その1カ月半前の6月30日の株主総会だ。
当時、新日本は表面上のブームとは裏腹に、アントニオ猪木のブラジル事業「アントン・ハイセル」に利益が流用されているのではないかという疑惑を選手や社員は抱いていたが、この株主総会で19億8000万円の売上高があるにもかかわらず、繰越利益は720万円で株主配当なしという現実に大塚直樹営業部長は愕然となった。
猪木と新間寿取締役営業本部長の下で働いていた、大塚営業部長は退社して興行会社を設立することを決意して、翌7月1日に取締役審判部長の山本小鉄に相談を持ちかけたことが、クーデター事件につながる。
大塚直樹営業部長、山本小鉄取締役に、選手だけでなく営業でも手腕を発揮していた永源遙が加わり、3億円を用意しての新団体設立へと話が発展した。会社改革案も出たが、猪木と新間取締役に組まれたら、勝ち目はないという判断からだ。
選手は山本取締役、事務方は大塚営業部長がまとめて、藤波辰巳(現・辰爾)をエースにして84年3月に「ワールド・プロレスリング」として独立するという計画が練られた。つまりスタートするかしないかは、藤波の答え次第となった。
7月12日、北海道・苫小牧大会の試合前、札幌の宿舎で山本取締役は藤波に団体構想を打ち明けた。かねてから新日本の金が「アントン・ハイセル」に流用されているのではないかと疑問と危機感を持ち、この年のギャラアップもなかった藤波は二つ返事で承諾した。
藤波の合意を得て、社長=山本取締役、副社長=藤波、取締役=永源&大塚営業部長という役員人事が決まり、7月29日の富山での会合にはタイガーマスク、そのマネージャーの曽川庄司も参加。新日本と新間取締役に対する不満を募らせていたタイガーマスクも新団体計画に賛同したが、新団体の人事に自分の名前がない曽川は独自のプロダクション設立に動き、それが8月12日のタイガーマスク電撃引退になった。
このタイガーマスク引退という前震は、皮肉にも新団体設立派の足並みの乱れのスタートでもあった。
大塚がまとめたはずの営業部の中でもタイガーマスクと近い吉田稔営業次長、上井文彦は大塚とは別の道を歩み、のちに旧UWF設立に関わることになる。
資金3億円が集められないと悟った山本は新団体設立ではなく、テレビ朝日から出向していた大塚博美副社長と望月和治常務と手を組んでの猪木、新間の降格による「会社の内部改革」にシフトしてしまった。
一貫して新団体を目指していた大塚営業部長には、退社覚悟で経営健全化に腐心していた弘中勝己経理部長、安西光弘経理部副部長が同調したが、もはや新団体設立は無理だと判断した大塚営業部長は加藤一良営業次長、営業部員の伊藤正治、斉藤利洋とともに8月17日に退職願を提出した。
そうした中、8月1日から海外に出ていた猪木が20日に帰国。待ち受けていた大塚副社長と望月常務は4人の退職願を手に「猪木さんが社長を降りなければ、多くの社員が辞めることになる」と猪木に迫った。営業4人の退職願を利用したのである。
猪木を追うように新間取締役が帰国した24日の夜、足並みは乱れていたものの「猪木&新間が反撃に出てくる前に結束を確認して、士気を高めよう」と、赤坂プリンスホテルで山本取締役、辞表を提出した大塚営業部長、加藤、伊藤、斉藤の4人、タイガーマスク派の吉田、上井、経理部の弘中、安西、藤波、長州力、永源、木戸修、キラー・カーン、小林邦昭、柴田勝久、栗栖正伸、ミスター高橋による決起集会が行われ「新日本プロレスにおいて我々が望む改革ができた場合も、また新日本プロレスを離脱して新団体を結成する場合、いずれにおいても今後すべてに一致団結して対処していくことをここに制約する」とした団結誓約書に血判を押した。
翌25日は「ブラディ・ファイト・シリーズ」開幕前日。緊急役員会が行われ、山本取締役が「社長を降りてください。新間さんも辞めていただきたい。そうしないと明日から選手は試合に出ません」と、前日の血判状を手に猪木に迫った。
大塚営業部長は「そんなことはありません。選手は試合に出ます」と否定したが、猪木は“背広組”の大塚営業部長より“レスラー上がり”の山本取締役の言葉を信じて辞意を表明。同夜、アメリカから帰国したばかりの坂口征二副社長は望月常務から電話で「副社長を降りて、巡業にも付かないでください」と通告された。新間取締役はタイガーマスク引退の責任を取って3カ月の謹慎。事実上の新日本追放だった。
そして29日に大塚博美、望月和治、山本小鉄のトロイカ代表取締役体制が発足。どうあれ、猪木&新間体制を転覆させるという意味ではクーデターは成功した。
新政権誕生前日の28日、田園コロシアムでラッシャー木村と一騎打ちを行った猪木は、卍固めで快勝すると、殺到してきた維新軍に「てめぇらもいいか、姑息な真似をするな。片っ端からかかってこい。全部相手してやる。藤波だって、坂口!お前もだ。俺の首を掻っ斬ってみろ!」と絶叫した。それは心からの怒りの叫びだった──。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。