選抜高校野球が3月18日に開幕する。夏の大会ほどの盛り上がりはないが、それでも選抜が来ると春になったという思いは、誰もが抱くことであろう。今回はどこが優勝するのか。その筆頭に挙げられるのは、昨年秋の明治記念大会を制した大阪桐蔭であることは間違いない。
さて、神奈川県には桐蔭学園があり、そして大阪に大阪桐蔭がある。そこに何らかの関係があるのだろうか。
神奈川の桐蔭学園は1964年に設立され、大阪桐蔭は大阪産業大学附属高校から1988年に大阪桐蔭として誕生した。実はこの2つの学校のルーツにあたるのは、和歌山県立桐蔭高校である。桐蔭学園も大阪桐蔭も校名に桐蔭を付けることで、桐蔭高校にお伺いを立てて了承してもらったと明かしている。
藩校として和歌山城の西の丸で作られたのがその後の和歌山中学であり、夏2回、春1回の甲子園優勝を誇る名門で、文武両道の学校であった。南方熊楠をはじめとして、政財界で活躍する者を数多く輩出した。
戦後占領した進駐軍は和歌山中学のようなひとつの学校に権力が集中するのを嫌い、学校を解体する策に出た。そして地名を校名に付けることも禁止したのである(和歌山県内では、和歌山市だけが地名を付けるのが禁止だった)。
そこで公立各校の校長が校名の候補案を持ち寄って会議をした結果、選ばれたのが桐蔭、星林、向陽などであった。桐蔭は有名な朱熹の漢詩「偶成」から「桐に鳳凰が宿り、その力を養うのが桐の陰である」ということでついたとされる。
だがこれには諸説あり、そもそもこの漢詩は朱熹の作ではなく、室町前期の和製であり、明治期になってから朱熹の作として権威づけたとする主張も。とはいえ、和歌山中学が解体されたのは事実であり、桐蔭と星林は普通高校、そして向陽は職業高校で、のちに工業高校になった。面白いのは、星林高校の名前の由来である。
「戦後すぐの時期で、アメリカへの反発心がありました。そして当時は、共産主義への憧れを持っていた教員も少なくなかったんです。それで星林という名前になった。『せいりん』ではなく、星をスター、林がリンでスターリンと、陰では呼ばれていたんですよ。これなら占領軍も見破れないって」(和歌山県教育委員会の関係者)
今でも県立桐蔭高校は県下一の進学校であるが、智辯和歌山など私立高の台頭もあり、かつての栄光が見られないのは残念である。