NPB関係者が大谷の成長に目を細める。
「日ハム時代は唯我独尊タイプで、グラウンドでは他人を寄せ付けないオーラを放っていました。年齢とキャリアを重ねて余裕が出てきたのでしょうね。みずからチームを引っ張ろうという姿勢が見えます。大活躍だったヌートバー(25)がチームに馴染めたのも、大谷によるところが大きいですね」
佐々木朗希(21)や宮城大弥(21)のような日ハム時代を知らない若い選手にとって、大谷は雲の上のスーパースター。チームに合流する前は「どんな人だろう?」「うまく交流できるだろうか」と心配する様子がありありだった。
「ありていに言えば、ビビッてましたね(笑)。でもいざ会ってみるとスター気取りなところはなく、フランクに話しかけてくれるし、軽くいじったりもしてくれる。チームの雰囲気はすごくいいですよ。大谷はもともと帰国前の段階から、先に合流したダルビッシュ有(36)と連絡を取っていて、チーム状況を確認していたそうです。ダルビッシュは若手投手を集めて食事に行ったりと積極的にチームのまとめ役を買って出ていましたが、大谷合流後はあまり出しゃばらず、グラウンド上でも大谷をチームリーダーとして立てるようになった。その気遣いに大谷が応えて、試合中も練習中も他の選手とのコミュニケーションを欠かさず、ジャパンをひとつにまとめているのです」(NPB関係者)
確かに試合中継や報じられる練習中の様子などを見ても、素朴な青年だった大谷が、オーバーアクション気味の身振り手振りで感情を前面に出して大喜びし、チームをけん引する様子が見て取れる。先の友成氏が大谷の特別な「コミュ力」について語る。
「メジャー球団には、中南米をはじめ大谷以上に英語が不自由な選手も多いので、試合中の意思疎通にはボディランゲージが多用されます。大谷もそれが必然的にうまくなっていき、同時にスター選手としてファンやチームの同僚のみならず、相手チームの選手やコーチですらどんどん彼に話しかけてくる環境が出来上がった。オールスターでも、大谷のサイン欲しさに他球団の選手が何十人も集まっていましたからね。大谷はイヤな顔ひとつせずに全員に対応していたんですが、『驚異的なことだ!』と報道されていましたよ。コミュニケーション能力が向上するのは当然です」
体も心も一回り成長して帰ってきたわけだが、存在感が大きくなりすぎた結果、ちょっとしたトラブルめいた事態も起きていた。スポーツ紙記者によると、
「大谷は野球以外のことには、本当に何も興味がない選手。洋服もスポンサードされたドイツのアパレルブランドの『ヒューゴボス』と、同じくスポンサーとして昵懇だった『アシックス』から最近乗り換えた『ニューバランス』の服しか着ないため、『ユニクロ』が手掛けた侍ジャパンの公式スーツを着ているところをほとんど見かけたことがない(苦笑)。ビシッとスーツでキメて他の選手と並んでくれたら、ファンの購買意欲をそそるいい画になるんですけど、契約上着られないのかも。それから、実父と実兄が運営する所属事務所のお達しで、大会中は大谷の個別取材がNGなんです。メディアは毎日でもコメントが欲しいのに、代表取材に出るのも2試合に1回程度。これには各社から不満の声が上がっています」
すべては雑音をシャットアウトし、優勝を勝ち取るためだったのだろう。
前回大会の無念の欠場決定から、勝利投手となった3月9日の中国戦までにはおよそ6年、2227日もの月日が流れた。あの日の辞退が日本人メジャーリーガーのスーパースターを作り上げたことは言うまでもない。過去の遺恨を吹っ飛ばした大谷が、日本野球の強さを満天下に知らしめてくれた大会となった。