フジテレビをバックにアントニオ猪木の受け皿として1984年春に新団体UWFを旗揚げし、そこに引退したタイガーマスク(佐山聡)をカムバックさせ、外国人選手のブッキングはジャイアント馬場に依頼するという元新日本プロレス取締役営業本部長の“過激な仕事人”新間寿の大構想はスタートでつまずいた。
新間は83年10月に佐山と和解したが、翌84年2月10日に佐山がザ・タイガーとして東京・世田谷区瀬田にオープンした「タイガージム」のパーティーに新間の姿はなかった。その前日、猪木に電話で「曽川(庄司=新日本時代の佐山の私設マネージャーで当時はタイガージム会長)がバックにいる以上、佐山を使うのはやめろ。その代わりに俺が協力するから」と告げられたからだ。結果、佐山はUWFからの撤退と新間との決別を表明した。
フジテレビに提出していた企画書には猪木、タイガーマスク、長州力、前田日明、高田延彦、マサ斎藤らの名前が入っており、放映の条件は「猪木がすぐに来られないのなら、タイガーマスクと長州力を参加させてほしい」というものだった。佐山と決別した新間は長州引き抜きにかかったが、先回りしたテレビ朝日は新間より好条件で3月5日に長州及び維新軍団と専属契約を結んでしまった。
3月に入ると前田、ラッシャー木村が新日本のシリーズを無断欠場、UWFへの参加が濃厚となるが、猪木容認の上でのもの。1月に失踪していた剛竜馬の参加も決定的になった。剛は木村とともに猪木&新間と会ってUWF参加を決意していた。そして3月8日に新宿2丁目の日伸ビルに「UWF ユニバーサル・プロレスリング株式会社」の看板が掲げられた。
皮肉にも、この事務所開きの当日にフジテレビから「若い前田がエースでは放映できない」という通達があった。タイガーマスクの復帰が消え、フジテレビの放映中止‥‥テレビ朝日からフジテレビに乗り換えるという当初の計画が消滅したことで猪木参戦も事実上、消滅したのである。
それでも後戻りはできない。4月11日=大宮スケートセンターから4月17日=蔵前国技館の全5戦の旗揚げシリーズは敢行された。4.11大宮の旗揚げ戦のメインでは、馬場が派遣してくれたダッチ・マンテルを相手に前田が快勝。前田は、猪木コールの中「俺はこのマットで、格闘技としてのプロレスの原点を追求していく!」と絶叫した。
移籍一時金として2000万円を猪木に渡していた新間は、フジテレビの放映中止決定の段階で猪木獲得を諦め、UWFの選手、社員の生活を守るために旗揚げシリーズ開幕前に「新日本がUWFと契約してくれるならWWFと契約しないし、新日本の権利を尊重する」と新日本の副社長に復帰した坂口征二に極秘で持ちかけた。
そして〈1〉新日本は毎月、選手へのファイトマネーとして2000万円をUWFに支払う、〈2〉新日本のシリーズ終了後に新日本の日本人&外国人選手を借りてUWFが5大会を主催、〈3〉「ワールド・プロレスリング」の中にUWFの試合中継枠を設けるという条件で業務提携の合意を取り付けた。
旗揚げシリーズ終了後にこれが発覚すると、新日本を飛び出してUWFに参加した社員たちは猛反発。UWFのフロント陣は新間氏の知らないところで佐山&曽川と接触して、新間排除を条件に佐山をザ・タイガーとして登場させることを決めた。
5月18日、フロント陣の決議を知らされた新間は、5月21日に京王プラザホテルで猪木がUWFに来なかったこと、猪木に渡した移籍手付金を回収できなかったことを表向きの理由に、UWFからの勇退、プロレス界からの引退を発表した。
だが新間はただでは転ばなかった。UWFのフロント陣と選手を分断、前田以下の選手にフリー宣言させて“UWF軍団”として全日本プロレスのマットに上げるという逆転劇を考えて馬場に依頼したのだ。
当時、前田はWWF、木村と剛はカナダ遠征中で、浜田はメキシコに戻っていたために、日本の状況を把握していなかった。
新間は、彼らにフリー宣言&全日本殴り込み宣言をさせるために5月24日にハワイに飛んで木村、剛、浜田と合流。3選手は新間に言われるままにフリー宣言し、ハワイに来られなかった前田は、新間の電話説明で事後承諾した形になった。
馬場はこの動きを受けて「こういうゴタゴタが起こると、一番迷惑するのは常に選手。まあ、全日本プロレスとしては、それらの宙に浮いた選手たちが純粋に戦いの場を求めたいというなら、その道までは阻まない」と受け入れを示唆。
しかし、帰国した前田、木村、剛の3人は6月1日に記者会見を行い、フリー宣言を否定して「UWFのリングでともに戦っていきます」と宣言。新間氏の巻き返しは失敗に終わった。
それでも馬場は新間との約束を守り、浜田の全日本参戦を発表した。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。