日本には「ウソも方便」という便利なことわざがある。例えば恋人や夫婦の間で別れ話を切り出す際など、それに倣い上手く繕うことでダメージを最小限に抑えることは、往々にしてあるものだ。だが、そうしないことで、あえてお互いの気持ちに決着をつける、いや、相手の気持ちに決着をつけさせる…かつて、そんな記者会見があった。
〈この度、私、田中健と古手川祐子は7月26日に離婚届を提出致しました〉
私が籍を置く週刊誌編集部に、そんなFAXが送られてきたのは、99年7月28日である。翌27日、午前10時に始まった田中の会見で飛び出したのが、こんな告白だった。
「古手川さんに嘘を言うのは失礼になりますから『彼女がいます』と事実を言いました。相手は芸能人ではありませんので、名前も年齢も言えません。ただ、ちゃんとお付き合いしている方で、3年前にお付き合いを始め、今年になって真剣に向き合い始めました」
ウソをつきたくないから不貞を自身の口から妻に告げた、と語る夫。さらに、それを告白した7月17日は、古手川の誕生日翌日だったという。
「女優ですから仕事が第一というのはしょうがないでしょうが、(古手川が)仕事をしている時は生き生きとしていて…」
田中のそんな言葉に、2人の間にある、埋めることのできない深い溝を感じたのである。
2人は86年に結婚し、一女をもうけるも、5年前から別居中とされていた。午後3時から会見に臨んだ古手川は、
「健さんから電話をもらい『誕生日おめでとう』と。『ありがとう』と言った後に『彼女がいる』と言われました。いつも強がりばかり言ってきましたから(彼女の存在を知らされた時にも)『当然だよね』って言いましたが、受話器を持つ手が震えていて…」
ハンカチで涙をぬぐい、まだショックを隠し切れない様子だ。ただ、午前中の会見で田中が口にした「彼女は仕事が第一だった」という言葉に対しては、
「彼からは、家庭に入ってくれとも言われなかった」
と反論した。そして、
「(離婚については)悩みましたが、娘に相談したら『私は大丈夫だから、別れなさいよ』って」
最終的には愛娘のひと言で自分の気持ちに決着がついた、と心情を吐露したのである。
当時、芸能マスコミは2人の離婚原因を「マスオさん」状態だった田中と古手川の父親との間に確執があり、家にいづらくなった田中が南米の民族楽器ケーナにハマり、練習用マンションを借りたことで自宅に戻らなくなった、と伝えたが、会見で2人はこれを否定。
本当の理由は不明だが、あえて妻の誕生日翌日を選んで「失礼だからウソはつきたくない」として、恋人の存在を告白した夫。「ウソを方便」にすることを選ばなかった男の、切羽詰まった決断と苦悩を垣間見る思いがしたものである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。