今や数多くの冠番組を持ち、太田プロきっての稼ぎ頭ではないかと思われる有吉弘行。その有吉が「猿岩石」としてデビュー後、わずか5カ月足らずで放り込まれたのが「進め!電波少年」(日本テレビ系)での、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断旅行するという、今考えればとんでもない企画だった。
有吉と相方の森脇和成が香港を出発するとアジア、ヨーロッパの西側を回り、ロンドンまで到達する、という姿を190日間にわたって撮影。毎週のOAでは、そのオイシイ部分だけが放送されたが、まさに笑いあり涙あり。弱音を吐きながらも苦行の旅を続ける2人の姿が感動を呼び、日に日に猿岩石の人気は上昇していった。
結果、96年4月から始まった旅は10月19日、無事ゴールイン。帰国するや、一躍ヒーローとなった2人は、10月26日に埼玉・西武球場で凱旋ライブを開催した。なんと3万人が来場し、出版した「猿岩石日記」(日本テレビ出版)も瞬く間に100万部(シリーズ累計250万部)の売り上げを突破するなど、その盛り上がり方はまさに社会現象と言われるほどだった。
そんな猿岩石が凱旋帰国ライブ以降、初めて公の場所に姿を見せるとあって、11月12日に東京・有楽町で行われた映画「大統領のクリスマスツリー」完成披露パーティーには、早くから100人近い報道陣が詰めかけていた。
緊張した面持ちで登場した2人は囲み会見に臨んだものの、
「『あの人は今』に出ないように頑張ります」(有吉)
「帰国してから緊張しっぱなしです」(森脇)
と、自分たちが置かれている現状に戸惑うばかりで、まるで「でも俺たち、ここにいていいんでしょうか」的な、あの引きつった苦笑いが記憶に残っている。
ところが、そんな囲み会見からほどなくしたある日、一部スポーツ紙が「猿岩石は移動中、実は3回も飛行機を利用していた」と報道したから大変なことに。芸能マスコミのみならず、朝日新聞など一般紙をも巻き込む大騒動へと発展することになったのである。
日本テレビに問い合わせると、3カ所で飛行機を利用したと認めた上で「現場での生命・身体の安全を第一に考えた結果だった」とするも、本の記述については「出版部の構成が甘かった。誤解を招かない表現にすべきでした」(広報部)。海外旅行の専門家によれば、
「ミャンマーとインドの国境やトルコ南東部など、治安が悪い地域では、むしろ飛行機での移動が当然の措置だったのでは」
であればなおのこと、そこは偽らず放送すべきだったのではないか。そんな「大人の事情」を知るべくもなく、猿岩石はひたすら苦行に耐え続けていたのか──。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。