〈1990年12月に結婚しました当初から、すれ違いの生活を覚悟しておりましたが、それでもお互いに努力し続けてまいりました。今、2人とも芸能生活30周年の節目に当たり、今後の人生について改めて自分自身を見つめ直してみました。そして、益々それぞれの芸の道を究めるべく邁進していきたいという思いが日々強くなり、話し合いを重ねてきました結果、このような結論に至りました〉
仮面夫婦という言葉がいつから使われることになったのか定かではないが、結婚から13年、芸能マスコミから「すれ違い夫婦」「仮面夫婦」と書かれ続けながらも離婚しなかった松平健と大地真央が、マスコミ各社にこんなFAXを送り、03年12月26日に離婚届を提出していたと明かしたのは、翌04年1月22日のことだった。
2人は87年の舞台「風と共に去りぬ」での共演がきっかけで、90年12月12日にゴールイン。700人を招き、東京・高輪プリンスホテルで行われた豪華披露宴は当時、2億円挙式として大きく話題になったものである。
しかし、結婚直後からの物理的なすれ違い生活は明らかで、松平が出演する「暴れん坊将軍」(テレビ朝日系)の関係者は、こんな証言をしてくれたものだ。
「健さんは1週間のうち土日以外は京都暮らしで、月曜の朝にはもう撮影現場に来ていますからね。当然、大地さんも仕事があるだろうし、あの夫婦はいったい、いつ2人で過ごしているんだろう、ってスタッフの中でも話題になっていたんです」
2人は98年、東京・港区に5億円ともいわれる豪邸を建築。その直後、仕事用として別々に住まいを構えたという報道はあったものの、松平に女性問題がある、あるいは大喧嘩したといった噂を耳にすることもない。テレビで夫婦生活について語る松平に、ある種の不思議な「無機質感」を憶えたのだった。
7人きょうだいの末っ子である松平が大地に「母親」を求めたが、仕事中心の大地にはそれが叶わず、次第に溝が深まった、との報道もあった。だが大地が結婚を機に仕事を辞めると言っていない以上、そうなることは結婚前からわかっていたはずだ。だとすれば、本当の離婚原因は何だったのか…。
2人は別々の場所で囲み会見を開くと、それぞれ、
「プランべートなことですから…。新聞に出ている通りです」(松平)
「お互い、仕事を頑張りましょうということを今、電話で話したところです」(大地)
多くを語ることはなかったのである。
2人の会見後、港区内にあるひときわ目を引く3階建ての豪邸を訪ねた。だが深夜になっても、そこから明かりが漏れることなかった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。