今季、岡田彰布新監督の下、「アレ」を目指す阪神には過去、数え切れないほどの外国人助っ人が在籍した。玉石混合だが、虎党にとって実に思い出深い助っ人の中に、マット・キーオという投手がいた。岡田監督が「今まで一緒にプレーした外国人選手の中でいちばん印象に残っている」と話す人物だ。
メジャー58勝の実績を引っ提げ、村山実監督、中村勝広監督と続く暗黒時代の4年間にプレー。入団1年目の1987年、いきなり開幕投手に抜擢される実力者だった。
キーオは日本でのプレー経験はなかった。だが、父であるマーティ・キーオもプロ野球選手として1968年、日本でプレーした経験があるため、日本で生活したことがある。
キーオはその当時、NHKの人気人形劇「ひょっこりひょうたん島」の大ファン。時折、鼻歌で同番組の主題歌を口ずさみ、チーム関係者やマスコミの人間を驚かせていた。
キーオの武器はストレートとカーブだった。特に変化球の切れ味はすさまじく、他球団から「グラブに紙ヤスリを仕込んで、ボールに傷をつけて投球している」という疑惑を向けられたことすらあるほどだ。野球のボールは、ツバなどの少しの水分や油、傷などで、信じられないような変化をすることがある。事実、試合終了後、審判団がキーオが投げたボールを回収し、チェックしたこともあったと伝わっている。
キーオは3年連続2ケタ勝利を含め、阪神で通算45勝を挙げたが、1990年は7勝に終わり、オフに自由契約となった。
その後、メジャー復帰を狙ったが、オープン戦で頭に打球を受け、緊急手術を受けるという不運もあり、かなわなかった。
1987年、古巣アスレチックスでGM補佐となったが、飲酒運転によるトラブルで逮捕されている。
2020年5月1日、南カリフォルニアで肺塞栓症のため、死去した。64歳だった。
(阿部勝彦)