当時、阪神の指揮を執っていた野村克也監督と対立。「あの監督は勝てば自分の手柄、負ければ選手の責任」という批判コメントをマスコミにバラ撒いたのが、ダレル・メイだ。
きっかけは1999年7月19日の巨人戦(甲子園)だった。6回二死二塁の場面で、巨人・高橋由伸が打った一塁ゴロのアウト、セーフの判定を巡って激高。審判の胸を突いて退場処分になる事件を起こした。この時、メイが抗議している間に走者が生還。これが決勝点となり、チームは敗戦した上、メイには2週間の謹慎処分が下された。
あってはならないことだが、暴力事件を起こし、罰金や謹慎処分を科されるケースは何度かある。だが、メイはこともあろうに、この謹慎期間中に恋人とグアム旅行をしていたというから驚きだ。
これが発覚するや、ノムさんの堪忍袋の緒が切れた。メイを呼び注意を与えたところ、なぜか逆ギレしたという。その後、自分の主張を書いた文章をマスコミに配るという仰天行動に打って出たのだ。
実は仲のいい記者数人に渡しただけだったが、この光景を見た他の記者たちが「ワンモア」と殺到。メイは自ら球団事務所でB5サイズの紙にコピーし、まるでビラを配るように配布する形になってしまった。
この行為に対し、球団から罰金1200万円と無期限謹慎処分が下されたため、帰国。8月には退団が決定し、そのまま自由契約となった。
ところが、何が幸いするのか分からない。その後、阪神時代の年俸4200万円からは考えられない、契約金と年俸を合わせて1億5000万円という条件で、巨人に入団。2年連続で2ケタ勝利を挙げる活躍を演じ、メジャーに復帰している。
メイは投球前に掌にツバを吐く行為があり、審判団からは「スピットボールではないのか」と再三指摘されたが、一向に改めることはなかった。
巨人時代の2000年にはオールスターに出場するなど実力のある左腕投手だったが、超問題児だったのは間違いない。
(阿部勝彦)