名将と呼ばれた野村克也氏だが、阪神監督時代は3年連続最下位。ノムさん自身も晩年「阪神の監督を引き受けなければよかった」とボヤいたほどだ。
理由はいろいろあるが、ノムさんの足を引っ張った要因のひとつに、外国人選手との相性の悪さがある。批判的な文章をマスコミに配ったダレル・メイもそうだが、相性の悪さでは、守護神に抜擢されたベン・リベラも負けてはいない。
コトの起こりは1999年4月11日の中日戦(甲子園)だった。セーブのつかない同点の延長10回、一死満塁の場面で急きょ登板を命じられ、走者一掃の長打を浴びたことでプッツンしたのだろう。
後続を抑えてベンチに戻ってきたものの、突然立ち止まり、ノムさんを指さして怒鳴り始めたのだ。
結局、この事件が引き金となり、両者の対立は激化の一途を辿った。その上、シーズン途中に右ヒジを痛めたため、帰国。治療期間中に球団から戦力外通告を受けて、退団の運びとなった。
このリベラは、ウソで塗り固められた存在だった。入団当初、右投げのはずが「実は両投げだ。左で投げても130キロ以上は出る」と豪語していたのだ。
ところが公式戦どころか、キャンプ、オープン戦でも左投げを披露することは皆無。阪神には以前、左右投げの近田豊年という投手が在籍しており、話題になったことがある。もしリベラが本当に左右投げならば、それ以上のインパクトだが、眉唾ものの話だった。
しかもエンゼルス・大谷翔平が投げるスイーパーのごとき「鎌のようなスライダーが武器」と豪語していたのに、実際の投球ではストレートがほとんど。スライダーを投げるシーンはなかった。
また、「ビッグ・ベン」のニックネームが示す通り、201センチ、114キロの巨漢。そのためか不器用で、セットポジションからの投球とバント処理はアマチュアレベルだった。
阪神退団後は韓国リーグ、台湾リーグ、メキシカンリーグを渡り歩いたという、その経歴は珍しい。
(阿部勝彦)