チベット自治区ラサ市で勃発した、僧侶らによる大規模デモ。これを鎮圧するため、中国治安当局は武力行使に踏み切り、100名以上の死者が出たことで、世界に「北京五輪NO!」の大合唱が巻き起こった──。
中国政府によるこの2008年3月の暴挙を発端とする抗議行動は、世界各国を回る聖火リレーへの妨害行為という形で広がり、各地で逮捕者が続出。08年4月26日にはトーチが日本を通過することになり、萩本欽一もランナーのひとりとして、市内を走ることになった。
ところが萩本が手を振りながら走っている最中、突然、沿道からものが投げ込まれ、警察官が透明の盾で防御するという場面も。その結果、リレー中に4人が負傷し、5人が逮捕される事態へとエスカレートしたのである。
リレー後、記者会見に臨んだ萩本は言った。
「ハッピーな気分で終わりたかったのに、思いが達成できなかった。長野のおばちゃんたちとハイタッチしたかったのに…」
会見後には「長野のみんな~!」と、沿道の人々とハイタッチ。「今のハイタッチがいちばんよかった~」と笑顔を浮かべる姿がテレビに映し出された。
ところがこの会見に噛みついたのが、当時、東京スポーツで客員編集長を務めていたビートたけしだった。たけしは4月29日付の「東スポ」1面に掲載されたコラムで、
「オイラは『聖火持って逃げろ』とか言ってたんだけど。 あの人は何でやんないかな? バカだな~。オレだったら絶対、火を消したり間違って水の中に落っこちたり、ギャグしか考えないけどな。何かやれよほんとに(笑い)。大体、お笑いなんて反逆的なことじゃない? この人おかしいよ。お笑いのくせに、愛と涙ばっかしやりやがって。インチキくせえことばっかり。お笑いなのにギャグやんないんだから」
萩本のお笑い芸人としての姿勢を、これ以上ないほど痛烈に批判したのだ。
この件に関して萩本がコメントすることはなかったが、たけしを知る放送作家は、
「たけしらしい愛情表現だよ」
と苦笑いしながら、次のように語ったものだ。
「たけしが弟子入りした深見千三郎は、実は欽ちゃんの師匠、東八郎の師匠にもあたる芸人で、むろん萩本も浅草フランス座の出身です。たけしはドリフと欽ちゃんの牙城を崩さない限り『ひょうきん族』はありえなかったと語っていますが、あのタブーに屈しない自身のスタイルは、まさに彼らに対抗する手段として確立されたもの。つまり、口ではいくら辛辣な言葉を放っても、本音はリスペクトする気持ちが強いということです」
嫌い嫌いも好きのうち、という諺があるが、はたしてこの2人の場合は…。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。