清武とはレベルが違う
球界のドン ナベツネが発した「鶴のダミ声」大暴言集15
内紛なのか? クーデターだったのか? いずれにしても、清武代表の涙の訴えなど、「球界のドン」にかかっては、季節外れの蚊に刺されたようなもの。巨人に君臨して20年、その間のナベツネの“大暴言”を振り返れば、レベルの違いは一目瞭然なのだ。
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渡辺会長のコーチ人事への介入は、清武代表には「鶴のダミ声」にしか聞こえなかったのだろう。これが初めてではないのに‥‥。
91年9月、当時の藤田元司監督(享年74)は渡辺会長から来季の「一軍コーチ留任」の約束を取り付けた。
ところが、わずか2週間後に、渡辺会長がブチ切れて、ひっくり返したのだ。
「(留任は)承服しかねる。今季の戦いぶりはひどすぎる! 私は横審の総見にも行くが、あっちは真剣勝負だ。巨人みたいにテレンコ、テレンコやってない!」
その翌日、この発言を釈明するが、シーズンを終了して巨人が12年ぶりの4位に終わるや、コーチ1人のクビを飛ばしたのだった。
清武代表が“故事”にならっていれば、渡辺会長が人事介入したら撤回しないと理解して、あんな会見すら開かなかったはずだ。
そもそもケンカを売る相手を間違えた。清武代表の独裁者ぶりなど、渡辺会長の前ではかすんで見える。
04年、近鉄とオリックスの球団合併から再燃した1リーグ制問題。反対を表明した当時の選手会長、古田敦也に放った名文句は、「ドン」そのものだ。
「無礼なことを言うな。たかが選手がッ!」
他球団の選手以上に巨人の選手には辛辣だった。みずから勧誘して、FAで獲得した清原和博。00年に不振に陥ると、「邪魔をしなければいい」と罵倒し、清原の故障離脱をこう喜んだ。
「勝利の要因が増えたな」
FA選手同様、高額報酬を得ている外国人選手にもボロクソだった。96年の開幕直後に新助っ人のマントに放った言葉は球史に残る。
「とにかくマントが悪い!他に選手はいないのか。クスリとマントは逆から読んではダメ」
もちろん生え抜きの選手にも“口撃”を加えている。
91年の開幕直前の激励会で「若い頃から立派で豪壮、華美な邸宅に住む必要はない」と意味深な発言をしたのだ。これは当時、財テクに失敗した桑田真澄に向けられたものだった。そして、桑田が96年にFA資格を取得、メジャー挑戦を匂わすや、バッサリと斬って捨てた。
「肩代わりしている17億円の借金はどうなるんだ」
都合の悪いルールは完全無視
FA制度導入に躍起になっていたのも渡辺会長だ。
「ドラフトが撤廃されなければ、今オフにも脱退かどうか、ハッキリさせる」
このように、93年に反対する他チームに「リーグ離脱」を示唆してまで、恫喝していたほどだ。
なのに、巨人から選手がFAで去ることは許さず、金で他球団から選手を獲得することはOK。この強硬な姿勢は、96年のオーナー就任の際の言葉、「これからは直接指揮を執る。金は出すが、口も出す」によく表れている。
有名選手の貪欲な引き抜きで渡辺会長は勇み足もした。97年、メジャー移籍問題の渦中にあった伊良部秀輝(享年42)に「だったら、ウチに来ればいいのに」と発言。タンパリング(事前交渉)と批判された。いや、渡辺会長にFAは関係ない。FA制度以前の91年当時も、「落合なら5億出してもいい」と話し、中日を激怒させた。
91年から、たびたび「ドラフト制度は独禁法違反」と主張してきた。そんなルールにうるさい渡辺会長だが、都合の悪い規則は一切、無視なのだ。清武代表が「球界全体のルールに関わる」と会見で訴えても、馬耳東風なのは当然だ。
しかし、いずれの暴言も勝利への執念であることは間違いない。巨人の勝ち星は日本の治安を左右する問題だからだ。
「巨人が優勝すればサリン事件の犯人も逮捕されるに違いない」(95年の発言)
このように、トンチンカンなまでに巨人を愛する渡辺会長。03年に任期途中で追い出された原監督を「読売グループ内の人事異動」と言い切ったのもうなずける話だ。清武代表が会見で語った「巨人愛」など比べ物にならない。
そして、トップとしての覚悟となると、段違いである。91年、藤田監督が1年契約を申し入れた際、渡辺会長は持論をこうぶった。
「10年は無理だよ。トップはそんなもん。俺だってできないよ。自然だよ」
自然に逆らい20年、渡辺会長はトップであり続けた。清武代表に勝ち目など最初からなかったのだ。