1983年夏の新日本プロレスのクーデター騒動後、アントニオ猪木の参謀だった元取締役営業本部長の新間寿は、猪木の新たな受け皿としてUWF設立に動いたが、それとは別に新たな行動に出たのがクーデターの首謀者の1人、大塚直樹営業部長だ。
もともと大塚は新日本を退社して興行会社を作るつもりでいたが、山本小鉄審判部長らに相談していく中で、藤波辰巳(現・辰爾)をエースとする新団体を設立するというプランが生まれ、それがクーデター騒動に発展していった。
大塚はその過程で山本に不信感を抱いて「当初、理想としていた新団体は不可能。個人としての当初の理想だった新たな興行会社を作ろう」と、加藤一良営業次長、伊藤正治、斉藤利洋の3人と猪木政権が転覆する以前に辞表を提出。8月29日に発足したトロイカ政権から「役員にするから協力してほしい」と要請があったが固辞。11月11日に社長に復帰したアントニオ猪木からの慰留にも「どうあれ猪木さん、新間さんに一度は弓を引いた以上は残るわけにはいきません」と11月20日に退社して、12月21日に資本金2000万円で株式会社新日本プロレス興行(以下、新日本興行)を法人登記した。
新日本プロレス興行は76年6月の猪木─モハメド・アリ戦で巨額の借金を負った直後に「テレビ朝日に経営権を奪われても、新日本プロレスの看板を残すために」と、猪木が資本金300万円で登記した会社。大塚は退社2週間前、猪木に「今後も協力してほしい。新日本プロレス興行という会社をお前にやるよ」と言われ、社名だけもらったのだ。
猪木は「ゆくゆくは新日本プロレスの興行を全部やってくれ」と【1】各シリーズの後楽園ホールを1回主催、【2】蔵前国技館、日本武道館などの東京の大会場での入場券を各興行につき500枚以上、【3】北海道及び四国全域の興行主催権という好条件を大塚に提示した。
猪木が好条件を提示したのは、営業から新間だけでなく、タイガーマスク派の吉田稔営業次長、上井文彦がすでに退社しており、ここで大塚の協力を得られなければ、新日本の営業は壊滅状態になるからだ。
だが、新日本と新日本興行の関係は長続きしなかった。新日本興行のスタートと時を同じくして、新間がタイガーマスク派の元営業とともに猪木の受け皿としてUWF設立に動き始めたからである。
「僕には“いずれ新日本の興行全てを任せる”と言いながら、一方では新間さんに“フジテレビの放映が決まったら、信用できるレスラーだけ連れて移籍するから”と言っていた。猪木さんは新日本プロレス興行とUWFの2台のバスを同時に走らせたのです」(大塚氏)
翌84年1月14日、新日本興行の創立記念披露パーティーが京王プラザホテルで行われたが、そこに猪木の姿はなかった。
また、新日本には「何で裏切り者にいい条件で興行をやらせるのか!?」という空気もあったという。
そして2月3日、札幌中島体育センターで事件が起こる。メインイベントは藤波に長州力が挑戦するWWFインターナショナル・ヘビー級選手権だったが、入場する長州を藤原喜明が鉄パイプで襲って流血させ、試合不成立になってしまったのだ。有名な“雪の札幌テロ事件”である。
この大会は新日本興行の主催。大塚はこの事件を猪木の興行潰しだと感じた。試合の当事者・藤波は「辞めてやる、こんな会社!」と叫んだが、藤波も“見えざる力”を感じていた。
こうして新日本との関係がギクシャクする中、大塚に接触したのがジャイアント馬場だ。全日本プロレスは興行面で新日本に水をあけられていたが「あの新日本興行の営業力とウチの試合内容が合わさったら、必ず面白い結果が出る」と考えたのである。
5月27日、キャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)で馬場は大塚に「今まで通りに新日本の興行をやってもらって結構だから、大塚さんたちのできる範囲でウチの興行も手伝ってほしい」と要請。話し合いはスムーズに進んで6月22日に業務提携記者会見、8月26日に田園コロシアムで新日本興行主催興行を行うことが決定した。
この提携を何としても阻止したい新日本の坂口征二副社長は、6月18日の株主総会&役員会で新日本興行の立場を擁護。翌19日に「来年は蔵前と大阪を1回、あとは好きな日を取ってもらって60試合の興行を任せるから、全日本の興行はやめてほしい」という条件を提示したが、大塚は「馬場さんと約束したので」と断った。
坂口は業務提携記者会見だけは中止してもらえるように馬場に連絡を入れたが、馬場は会見が終わるまで電話に出なかった。
6月22日、キャピトル東急ホテルで馬場と会見に臨んだ大塚は「ウチが両団体の興行を手がけることによって、無意味な興行戦争をなくす方向にもっていきたいと思います」と語った。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。