「更生意欲は乏しい。両親も監督能力がないのは明らか」
裁判官からそう厳しい指摘を突き付けられた高橋裕也被告には、懲役2年6月が求刑された。今年7月14日に東京地裁で開かれた、論告求刑公判でのことだ。
三田佳子の次男である高橋被告は、これが5度目の覚せい剤取締法違反などの罪に問われたわけだが、6月の第4回公判では、情状証人として映像プロデューサーの父親が出廷。そこで「神の声が聞こえる」と幻聴に悩まされていたと証言した。再発防止のため同居する考えも示したが、いかんせん、もう5度も繰り返している。両親の「監督能力」を疑問視する裁判所からは「No」を突き付けられる形となった。
高橋被告が初めて覚せい剤所持で逮捕されたのは、1998年2月5日。当時は18歳の未成年だった。だが皮肉なことに、この「未成年」をことさら強調したがためにその後、三田の「良妻賢母」イメージが崩壊。CM6本を降板させられるなど、一夜にして苦境に追い込まれることになった。当時、高額納税者番付No.1女優と言われ、映画やテレビ、CMで見ない日はなかった三田の、転落が始まったのである。
高橋被告の最初の逮捕の翌2月6日、三田は東京・六本木の全日空ホテルで記者会見を開くことになった。しかしその「前哨戦」が、三田の代理人弁護士名で前夜、マスコミ各社に送られてきた「申入書」と題するFAXで幕を開けることになる。そこには以下の文章が記されていた。
〈三田氏の次男は少年法の適用を受ける未成年です。(中略)実名などを報道しないのは当然のことですが、母親たる三田氏が有名女優であることを鑑みると、三田氏の実名(芸名を含む)・写真等を挙げて三田氏の子供である旨報道するのも許されません〉
今、読み返してみても、この高飛車な文言には驚愕するばかりだが、午後6時30分から行われた会見でも、三田は平然とした表情で答えるのだった。自宅の地下室で次男が逮捕された際に、同じ家で寝ていたことには、
「どこの家庭でも一緒だと思いますが、過干渉になって『あなた、誰?』『どこの方?』と毎日のようには聞けません」
それどころか、会見後半では、
「本来なら少年法によって守られなければならないということを、親が私ということで騒ぎになり、踏みにじられ、大変切ない思いです」
まるで騒動を大きくするマスコミに問題がある、ともとれる言い分に、200人を超える報道陣からは、幾度となく驚嘆の声が上がったものである。
むろん会見の模様は翌日の新聞、テレビで一斉に報じられ、三田バッシングはヒートアップすることになるのだが、これはあくまでも1回目の逮捕時の話。さすがに2回、3回と逮捕が続くと、そのたびに「高橋被告の母」という枕詞として報じられ、決まりかけていた仕事が遠のいていく彼女には同情の声も。「成人しているのだし、母親の名前を出す必要はない」といった論調が出始めたことも事実だ。
まさに「三田佳子」という大女優への世間の評価が一変した、運命の記者会見だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。