トム・・クルーズは、なぜ日本で人気があるのだろうか。新作「ミッション:インポッシブル/デッドレコニングPART ONE」の興行を見て、改めて思った。
スタート成績(初動3日間)は、前作「同フォールアウト」(最終興収47億2000万円、2018年)を上回った。50億円台が視野に入った。
若い頃から人気があった。端正な風貌が、日本の女性たちに絶大な人気を誇った。米映画で人気を集めた男優は、彼だけではない。何人もいた。1980年代から90年代あたりのことだ。ただ、トム一人が違っていた。
主演クラスの活動期間が、尋常でないほど長い。浮き沈みはあったが、実年齢が60代に入って、さらなる飛躍を遂げた。その源泉にあるのが「映画の申し子」としての側面だと言っていいだろう。
映画娯楽の真髄を、アクションと心得ている。これは邦画、洋画の多くのヒット作を見れば明らかだろう。近年は特にそうなってきた。アニメーションにおいてさえ、そうなのである。単にアクションがあればいいというものではない。そこには、見る者を瞠目させる描写の華々しさや苛烈さが充満している。
新作では、バイクに乗ったトムが崖から谷に向かって飛び降りるシーンが、ラスト近くに用意されている。予告編もそこにポイントを絞ってきたが、このシーンを生身のトムが演じたと伝えられている。これまでの多くのアクションの見せ場も、そうであった。
「映画の申し子」とは、このことである。いかに映像技術が進化しようと、生身の肉体で役柄、物語に挑む。俳優の直接的な肉体性の発露は、人々の気持ちを強くつかむ。本物だからである。日本の観客は、本物を見分けるすべに長けている。
技術では限界がある。同工異曲になりがちだ。不自然さが増してくる。米映画の不振は、そこに大きな原因がある。アクションの意味をはき違えると、映画は人々に届かなくなる。
ハリソン・フォードが15年ぶりに主演した「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」を見ると、生身の肉体性と映像技術の兼ね合いが、より複雑になっていることを感じる。
ハリソンの風貌(若い時)やアクション描写において、なんらかの技術的な加工がなされている。80歳を超えたハリソンがヒーローとして活躍する姿は感動的なのだが、一方で、その描写に素直に没入できない面も出てくる。
トム・クルーズは愚直なまでに、俳優の肉体性というものにこだわる。誰でもができることではない。体型や体力の保持への執念ばかりではない。プロデューサーも兼ねることが増えた企面への積極関与も大きい。
肉体性が及ぼすアクションへの尽きぬこだわりが、「映画の申し子」たるゆえんである。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。