今、彼のような投手がいれば、DeNAはセ・リーグの首位を走っていたかもしれない。あの「オレ流」落合博満氏が最も苦手にしていた投手を知っているだろうか。「奇跡のリリーバー」と呼ばれた盛田幸妃氏である。盛田氏とチームは、固い絆で結びついていた。
函館有斗高から1987年のドラフト会議で大洋ホエールズ(現DeNA)から1位指名を受けて入団したが、この時に話題になったのが、父親のことだった。
盛田氏の父は当時、北海道で漁師をしていた。ある日、その父親が出漁中に虫垂炎にかかる。それを助けたのが、当時のチームの親会社・大洋漁業の船だった。
父親はその船に収容されて一命を取りとめたため、大洋にドラフト指名された際、盛田氏は「今度は僕が助ける番」と恩返しを誓い、話題を呼んだ。事実、一時は大魔神・佐々木主浩氏とともに、ダブルストッパーとして活躍している。
その盛田氏を病魔が襲ったのは、近鉄に移籍した1998年のことだった。開幕からリリーフ投手として登板していたが、5月末から右足首の違和感や麻痺などが起こり、次第に状態が悪化。その後、検査でゴルフボール大の髄膜腫(良性の脳腫瘍)が見つかり、9月に摘出手術を受けた。
右足に麻痺が残る後遺症に苦しめられたがリハビリで克服し、1999年のシーズン最終戦で1軍復帰。奇跡のカムバックを果たしている。2001年6月13日のダイエー(現ソフトバンク)戦では1082日ぶりの勝利投手となり、オールスターにも出場。カムバック賞を受賞した。
翌2002年に引退し、オフに横浜の球団職員としてチームに復帰したが、2005年夏に脳腫瘍が再発する。2010年には脳腫瘍の転移による骨腫瘍も発生し、2015年10月16日に横浜市内の自宅で死去した。45歳という若さだった。
シュートは一級品で、あの落合氏を通算50打数9安打、打率1割8分に抑えた名投手。もし今のDeNAにいれば、もっと楽に優勝争いを演じていたのではないか。
(阿部勝彦)