1987年2月20日、長州力が消えた。この日、後楽園ホールで全日本プロレス「エキサイト・シリーズ」が開幕したが、長州は「発熱と神経性の下痢のために欠場」を発表。これは表向きの話で‥‥長州は午後5時過ぎ、ジャパン・プロレスの加藤一良専務に「今日は体調が悪くて出られない」と電話を入れた後、消息を絶ったのだ。
同日、長州の師匠のマサ斎藤が東京・中野サンプラザで開催された猪木の誕生日を祝う「突然卍がためLIVE」に花束を持って現れて「俺はジャパン代表として戦う」と3月26日の大阪城ホールにおける「INOKI闘魂LIVE2」での猪木への挑戦を表明。
イベント終了後、アントニオ猪木の秘書部長兼闘魂LIVE実行委員長の倍賞鉄夫は3・26大阪城ホールの猪木の相手にマサが決定したことを発表した。
前回でお伝えしたとおり、倍賞はジャパンから長州の1本釣りを仕掛けていた人物だ。
実は前日の19日にジャパン本社で幹部会が行われて、新日本プロレスへの復帰問題、マサの闘魂LIVEへの参加が議論された。
新日本への復帰については「全員で戻ってきてほしい」という新日本の杉田豊久渉外担当部長からジャパンの大塚直樹副会長への要請と、倍賞から加藤を通じての長州の1本釣りの2つのシナリオが同時進行していた。この時点では、ジャパン内部で長州の1本釣りを知っていたのは長州、マサ、加藤の3人だけだったと思われる。
当時、新日本の復帰工作は公になっていなかったものの、一連の長州と藤波のテレビを通じてのラブコール合戦によってマスコミ間には「新日本復帰を巡って長州と復帰反対派の谷津嘉章が口論になり、会議の途中で長州が席を立ったらしい」という噂も流れた。
長州の居所が判明したのは20日深夜。長州から群馬県の伊香保温泉で静養しているという連絡を受けてジャパンの竹田司会長、大塚副会長、加藤専務、マサ、谷津が駆けつけて話し合っている。
翌21日、新日本は改めて3.26大阪城ホールの闘魂LIVEのカード発表記者会見。倍賞は「ジャパンを通じてではなく、斎藤選手個人との交渉で出場を決めたものです。藤波VS長州実現には直接関係はありませんが、間接的にはその第一歩。斎藤選手の出場の見返りとして藤波選手の出場を要請されたら、検討の余地は十分あります」と発言。
全日本と新日本の引き抜き協定からすると、マサは全日本に属し、全日本の承諾なしに直接交渉や試合出場を決めることは違反行為に当たるが、ジャイアント馬場は「1日だけ、特別に新日本に貸す」とコメントした。馬場は新日本とジャパンの動きにキナ臭いものは感じていたものの、新日本が協定破りを承知の上で誘いをかけているとは思っていなかったようだ。
長州が帰京したのは2月24日夜。その後も右手首のガングリオン(こぶ状の腫瘤)を理由に3月12日までのシリーズを全休。その間の3月2日には、全日本の松根光雄社長がジャパン本社を訪れる形で長州─松根会談が行われた。その後、松根社長は3月10日の郡山市総合体育館大会を訪れて、馬場、ジャパンの永源遙選手会長と会談している。
シリーズ終了後の3月13日には馬場と長州の会談が実現して長州がシリーズ欠場を詫び、さらに自分の気持ちを馬場に伝えたとされるが、2人とも内容についてノーコメント。3月18日には帝国ホテルで馬場と猪木が会い、馬場が猪木に引き抜き防止協定順守を確認するなど、水面下で様々な攻防戦が繰り広げられた。
そして3月23日、ジャパン本社で長州と大塚が記者会見を行って、4月からの完全独立を発表。すでに発表されている全日本の「チャンピオン・カーニバル」(3月28日~4月24日)には出場するが、3月末までの全日本との契約は更新せずに完全独立して、自主興行を手掛けて全日本と新日本との垣根なく交流し、要請があれば全日本、新日本の両方に上がるというもの。
もし実現できれば画期的なプランだが、会見の内容を知らされた馬場は「現段階ではジャパンと話をしていないのだから、何とも言いようがない。個人としては長州の話は聞いたけれども〝専属契約があるんだから、それは無理だろう〟と話をしたはずなんですよ。〝独立したい〟〝ハイ、そうですか〟という程度の契約ではありませんよ。選手の契約は3月末までだけれども、会社と会社の契約は別ですよ。彼らがウチに来る時には、テレビ朝日とか新日本との問題をクリアしたけれども、また彼らはクリアしなければならない。それができれば独立も可能かもしれない。まあ、クリアすべきものをクリアしてくれればいい‥‥というか、仕方ないにしても(全日本と新日本の)両方に上がるというような調子のいいことはできないだろうということですよ」と厳しかった。
会見から2日後の3月25日、長州は信じられない大胆な行動に出た!
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。