8月16日、18年ぶりのリーグ制覇に向けてマジック「29」が点灯した阪神タイガース。しかし、思わぬ連敗で「21」まで減らしたマジックは29日に消滅した。そんなモヤモヤ感たっぷりの岡田阪神を、ファン歴50年以上の作家・増田晶文氏が4週にわたって描く。
アップアップ、パクパク。青柳晃洋は酸欠の金魚のように口を開き、喘いだ。
バコッ、痛てっ。
梅野隆太郎が死球を喰らいうずくまる。
ピュー、スコン、パタン。
佐藤輝明のバットは空を切り三振に倒れた。
チェッ、私は舌打ちする。阪神タイガースの奮闘ぶりを観戦しようとテレビをつければ、投手はピンチを招き、打者が凡退の憂き目にあう。ケシカランことに、贔屓の選手ほどその傾向は強い。大山悠輔なんて「特大のホームラン!」と祈っても、地味に四球を選ぶ。
私は時おり球場にも出向く。ここ数年の戦績ときたら僅かに1勝、先般の巨人戦でようよう引き分けた(だが試合後、妻と些細なことで大げんかをするという最悪の顛末)。
「どうなってんだ?」
4、5匹ぶんの苦虫を噛み潰す私を妻は嘲笑う。
「念が強すぎるのよ」
ううむ、そういうものなのだろうか。でも、つい応援には力が入ってしまう。私は深き懊悩を抱きつつ、勝負をみつめている。
ファン歴50有余年——とはいえ、私は異端だと思う。阪神原理主義者に非ず、虎カルト教信者でもない。いわば阪神ファン界のLGBTQ+。その中でも「クエスチョニング」かな。自分の居場所が分からない。
ファンと一体化してはしゃぐ気は毛頭ない。球場では、敵側外野席のいちばん上で眉間に皺を寄せながら戦況をみつめている(この席がいちばん安価なのも魅力)。「あと一球!」なんて絶対に叫ばん。ヒッティングマーチなんて知らん。
いつぞや、球場帰りの電車で「六甲おろし」をがなり立てる集団に遭遇したことがある。どうにも、いたたまれぬ気持になり隣の車両へ逃げ込んだ。「群」は苦手、「孤」が断然いい。
シーズン毎に応援の熱量に差があることも告白しよう。近年だと、金本知憲監督更迭に大立腹、その後の数年は応援バロメーターが下振れしたままだった。
だが、待てば海路の日和あり。「岡田彰布、監督復帰」の報を知るやニヤリ。再び熱き気炎が立ち昇るのを禁じえなかった。
岡田監督のユニークさは球界で一、二を争う。ユーモアに諧謔、ぼやき、毒気、深謀遠慮‥‥その言動は魅力にあふれている。彼こそ野村克也の後継者! 私は本気でそう思っている。
増田晶文(ますだまさふみ・作家):昭和35(1960)年大阪生まれ。今月、時代小説「楠木正成 河内熱風録」(草思社)を上梓。